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こちらの記事でも何度か話題に取り上げているアカンサス。コリント式の柱の柱頭の飾り、ヨーロッパ中世の頃の写本の装飾の葉模様のアラベスク、そしてシルクロードを経て日本までたどり着いた唐草模様の原型です。

La plume d’oie©鵞毛庵2009 部分
Un moyen de provoquer dans l’esprit des gens une émotion imprévue , voilà ce qu’est la fleur .
人の心に思ひも寄らぬ感を催す手立、これ、花なり。
世阿弥 「風姿花伝」 より
↑ こちらの作品の葉模様がアカンサスをデザインしたもの。
今、ちょうど花盛り。鵞毛庵アトリエのすぐ目と鼻の先に、玄関先にアカンサスが植わっているお宅を発見してびっくり。日本でもこんなところに普通にあるなんて!葉っぱは常緑なので、いつ花が咲くか密かに楽しみにしていた鵞毛庵です。
アカンサスについてはこちらをどうぞ。
2010年06月20日
カテゴリ : [鵞毛庵能の花シリーズ]

こちらの記事でも何度か話題に取り上げているアカンサス。コリント式の柱の柱頭の飾り、ヨーロッパ中世の頃の写本の装飾の葉模様のアラベスク、そしてシルクロードを経て日本までたどり着いた唐草模様の原型です。

La plume d’oie©鵞毛庵2009 部分
Un moyen de provoquer dans l’esprit des gens une émotion imprévue , voilà ce qu’est la fleur .
人の心に思ひも寄らぬ感を催す手立、これ、花なり。
世阿弥 「風姿花伝」 より
↑ こちらの作品の葉模様がアカンサスをデザインしたもの。
今、ちょうど花盛り。鵞毛庵アトリエのすぐ目と鼻の先に、玄関先にアカンサスが植わっているお宅を発見してびっくり。日本でもこんなところに普通にあるなんて!葉っぱは常緑なので、いつ花が咲くか密かに楽しみにしていた鵞毛庵です。
アカンサスについてはこちらをどうぞ。
投稿日 2010年06月20日 0:23:01
最終更新日 2010年06月20日 0:23:01
【修正】
2010年06月12日
カテゴリ : [三余堂月次]
梅雨入り前の晴れ間に心地よい日陰をつくるのは さくらの青葉。
四月の初め、みごとに花を翳してみせたのは ソメイヨシノで 今は昔、江戸末期に
駒込の染井村で誕生した種である。 植木屋さんの労作であった。
万葉集にも桜の歌はあるが、奈良時代は花といえば梅。
遣唐使の廃止などで唐風文化が廃れ、日本文化の国風化が育つと
平安時代には桜の人気が高まっていった。
その当時の桜は 大雑把に一くくりで言うところの山桜。
山桜は花つき、色の濃淡、樹の形、などが様々である。
開花時期にずれがあるので、同じところで時間をかけてじっくりと花を愛でることが出来た。
一斉に咲き、一斉に散るという桜ではなかった。
故に、大家のお声掛かりで慌てて 番茶や沢庵持参で長屋中が花見に繰り出すこたぁないし
ユックリト、幾度も、何遍も 非毛氈に見立てたむしろで歌を詠むなり、句を捻るなり…
花は白色、淡紅色、先端の色濃いものなどさまざまで
若葉も赤紫やら、褐色やら、黄緑色やら、豊かな緑色を見せる山桜類。
いわゆる 吉野の桜だ。樹齢500年を越えるものもあるという。
花も濃淡で美しいが 若葉青葉と新緑の葉はさらに魅せるものがある。
そんな 花を愛でた歌人として名高い西行法師は、
平安時代末期から鎌倉時代初期という時代の移り替わりに生きた。
元永元年(1118年)〜文治6年(1190年)のことである。
俗名を佐藤義清 さとう のりきよ。北面の武士として仕え、和歌や故実に通じていたという。
『千載集』や『新古今集』、『山家集』に多くの花を詠んでいる。花の歌人だ。
世阿弥が室町期に「西行桜」という能を作った。
花見んと群れつつ人の来るのみぞ あたら桜の咎にはありける
西行法師の詠んだこの和歌を主題とした「西行桜」は、老桜の精をシテが描きだす。
能 西行桜 La plume d'oie (c) 鵞毛庵 2010
画像をクリックすると拡大します。
武士として鳥羽上皇に仕えていた西行は、京都の天台宗 勝持寺で出家したとの説があり、
鐘楼堂のそばへ一株のしだれ桜を植えたという。
現在はそれを「西行桜」、勝持寺を「花の寺」と呼ぶ。
今頃、その桜は若い緑が豊かに重なり合って 卯の花くたし到来にそなえているだろう。
この20日 能を知る会で三余堂は西行桜を勤める。
能 景清 La plume d'oie (c)鵞毛庵 2010
西行と同じ頃に生きた、藤原景清を五月の月次で取り上げた。
その景清を題材にした能も同日上演され、鵞毛庵の作品が絵葉書として会場で求められる。
四月の初め、みごとに花を翳してみせたのは ソメイヨシノで 今は昔、江戸末期に
駒込の染井村で誕生した種である。 植木屋さんの労作であった。
万葉集にも桜の歌はあるが、奈良時代は花といえば梅。
遣唐使の廃止などで唐風文化が廃れ、日本文化の国風化が育つと
平安時代には桜の人気が高まっていった。
その当時の桜は 大雑把に一くくりで言うところの山桜。
山桜は花つき、色の濃淡、樹の形、などが様々である。
開花時期にずれがあるので、同じところで時間をかけてじっくりと花を愛でることが出来た。
一斉に咲き、一斉に散るという桜ではなかった。
故に、大家のお声掛かりで慌てて 番茶や沢庵持参で長屋中が花見に繰り出すこたぁないし
ユックリト、幾度も、何遍も 非毛氈に見立てたむしろで歌を詠むなり、句を捻るなり…
花は白色、淡紅色、先端の色濃いものなどさまざまで
若葉も赤紫やら、褐色やら、黄緑色やら、豊かな緑色を見せる山桜類。
いわゆる 吉野の桜だ。樹齢500年を越えるものもあるという。
花も濃淡で美しいが 若葉青葉と新緑の葉はさらに魅せるものがある。
そんな 花を愛でた歌人として名高い西行法師は、
平安時代末期から鎌倉時代初期という時代の移り替わりに生きた。
元永元年(1118年)〜文治6年(1190年)のことである。
俗名を佐藤義清 さとう のりきよ。北面の武士として仕え、和歌や故実に通じていたという。
『千載集』や『新古今集』、『山家集』に多くの花を詠んでいる。花の歌人だ。
世阿弥が室町期に「西行桜」という能を作った。
花見んと群れつつ人の来るのみぞ あたら桜の咎にはありける
西行法師の詠んだこの和歌を主題とした「西行桜」は、老桜の精をシテが描きだす。
能 西行桜 La plume d'oie (c) 鵞毛庵 2010画像をクリックすると拡大します。
武士として鳥羽上皇に仕えていた西行は、京都の天台宗 勝持寺で出家したとの説があり、
鐘楼堂のそばへ一株のしだれ桜を植えたという。
現在はそれを「西行桜」、勝持寺を「花の寺」と呼ぶ。
今頃、その桜は若い緑が豊かに重なり合って 卯の花くたし到来にそなえているだろう。
この20日 能を知る会で三余堂は西行桜を勤める。
能 景清 La plume d'oie (c)鵞毛庵 2010
西行と同じ頃に生きた、藤原景清を五月の月次で取り上げた。
その景清を題材にした能も同日上演され、鵞毛庵の作品が絵葉書として会場で求められる。
投稿日 2010年06月12日 0:05:50
最終更新日 2010年06月12日 0:05:50
【修正】
2010年06月01日
カテゴリ : [案内望遠鏡]
柳というと 〜昔こいしィ 銀座のやなぎ 〜 。
東京行進曲である。
西条八十作詞、中山晋平作曲、佐藤千夜子の唄である。 勿論、流行当時は三余堂存在せず。
日本の映画主題歌の第一号で、昭和4年に発売し25万枚のヒット。どういうわけか、小生口ずさめる。
最近、五月のはじめに銀座の柳祭りなるものを開催している。
その柳も今は緑濃く 衣替えの日を迎えた。
「道のべに清水流るゝ柳かげ しばしとてこそ 立ちどまりつれ」 山家集・新古今集
と、ことに桜を愛でた西行が柳を詠んでいる。
室町の初め、西行の庵にある老木の桜を世阿弥が 「西行桜」という能にした。
室町後期に、観世小次郎信光(1435〜1516)は、西行の詠んだ柳を主題に「遊行柳」という能を作った。
La plume d'oie(c)鵞毛庵 2010 能の花シリーズ
遊行柳 道のべに清水流るゝ柳かげ しばしとてこそ 立ちどまりつれ
遊行上人(一遍上人)の教えを広めようとする僧が、老人と出会い、朽木の柳に案内される。
草の生い茂った古道を進むと、塚の上に柳の老木。昔西行が歌に詠んだ柳であると告げて消えた。
僧が、念仏を唱えると老翁が再び姿を現し、念仏への報謝の舞を心静かに舞う。
夜明けの風に目覚めた僧が目にしたのは、朽木の柳だった。
そのかみ洛陽や。清水寺のいにしえ。五色に見えし瀧波を。尋ねのぼりし水上に。
金色の光さす。朽木の柳たちまちに。楊柳観音と現れ。今に絶えせぬ跡とめて。
利生あらたなる。歩を運ぶ霊地なり。されば都の花盛り。大宮人の御遊にも。
蹴鞠の庭の面。四本の木蔭枝たれて。暮に数ある 沓の音。
柳桜をこきまぜて。錦をかざる諸人の。花やかなるや小簾の隙洩りくる風の匂いより。
手飼の虎の引綱も。ながき思に楢の葉の。その柏木の及びなき。恋路もよしなしや。
これは老いたる柳色の。狩衣も風折も。風にただよう足もとの。弱きもよしや老木の柳。
気力なうしてよわよわと。立ち舞うも夢人を。現と見るぞはかなき。
栃木県那須町芦野の国道沿いに とても朽木とは言い難い柳がある。 遊行柳ということだ。
何代も植え継がれてきたのだろう。
西行が訪れたという 言い伝えの地を芭蕉もたずねている。
「田一枚植えて立ち去る柳かな」 芭蕉
能 遊行柳での設定地は、白河の関を過ぎて程なくした所となっているので
現在の遊行柳がある場所ではない。 念のため …
西行の「道の辺……」、芭蕉の「田一枚…」さらに 蕪村の「柳散清水涸石處々」の句碑も並び、
観光客の名所となっているとか。
今週末5日 秋田の唐松能舞台で薪能公演 「遊行柳 」を勤める。
又、20日には「西行桜」を東京の国立能楽堂 能を知る会で勤める。
東京行進曲である。
西条八十作詞、中山晋平作曲、佐藤千夜子の唄である。 勿論、流行当時は三余堂存在せず。
日本の映画主題歌の第一号で、昭和4年に発売し25万枚のヒット。どういうわけか、小生口ずさめる。
最近、五月のはじめに銀座の柳祭りなるものを開催している。
その柳も今は緑濃く 衣替えの日を迎えた。
「道のべに清水流るゝ柳かげ しばしとてこそ 立ちどまりつれ」 山家集・新古今集
と、ことに桜を愛でた西行が柳を詠んでいる。
室町の初め、西行の庵にある老木の桜を世阿弥が 「西行桜」という能にした。
室町後期に、観世小次郎信光(1435〜1516)は、西行の詠んだ柳を主題に「遊行柳」という能を作った。
La plume d'oie(c)鵞毛庵 2010 能の花シリーズ
遊行柳 道のべに清水流るゝ柳かげ しばしとてこそ 立ちどまりつれ
遊行上人(一遍上人)の教えを広めようとする僧が、老人と出会い、朽木の柳に案内される。
草の生い茂った古道を進むと、塚の上に柳の老木。昔西行が歌に詠んだ柳であると告げて消えた。
僧が、念仏を唱えると老翁が再び姿を現し、念仏への報謝の舞を心静かに舞う。
夜明けの風に目覚めた僧が目にしたのは、朽木の柳だった。
そのかみ洛陽や。清水寺のいにしえ。五色に見えし瀧波を。尋ねのぼりし水上に。
金色の光さす。朽木の柳たちまちに。楊柳観音と現れ。今に絶えせぬ跡とめて。
利生あらたなる。歩を運ぶ霊地なり。されば都の花盛り。大宮人の御遊にも。
蹴鞠の庭の面。四本の木蔭枝たれて。暮に数ある 沓の音。
柳桜をこきまぜて。錦をかざる諸人の。花やかなるや小簾の隙洩りくる風の匂いより。
手飼の虎の引綱も。ながき思に楢の葉の。その柏木の及びなき。恋路もよしなしや。
これは老いたる柳色の。狩衣も風折も。風にただよう足もとの。弱きもよしや老木の柳。
気力なうしてよわよわと。立ち舞うも夢人を。現と見るぞはかなき。
栃木県那須町芦野の国道沿いに とても朽木とは言い難い柳がある。 遊行柳ということだ。
何代も植え継がれてきたのだろう。
西行が訪れたという 言い伝えの地を芭蕉もたずねている。
「田一枚植えて立ち去る柳かな」 芭蕉
能 遊行柳での設定地は、白河の関を過ぎて程なくした所となっているので
現在の遊行柳がある場所ではない。 念のため …
西行の「道の辺……」、芭蕉の「田一枚…」さらに 蕪村の「柳散清水涸石處々」の句碑も並び、
観光客の名所となっているとか。
今週末5日 秋田の唐松能舞台で薪能公演 「遊行柳 」を勤める。
又、20日には「西行桜」を東京の国立能楽堂 能を知る会で勤める。
投稿日 2010年06月01日 0:17:05
最終更新日 2010年06月01日 0:17:35
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