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2007年11月01日
カテゴリ : [案内望遠鏡]
以前隣家に 萩の大株があった。
南側の塀越しに薄紅色の花を望んだ。
長月夕方になると まだまだ がんばる蝉の声に雑じって虫の音が聞こえ始める。
そんな頃 ちらっと見える萩の花に秋の七草を思った。
何処そこにありそうな 萩が花 尾花 葛花 撫子の花 女郎花 また藤袴 朝貌の花 だが
近年は なかなかお目にかかれない。 
時節の移り目に無残な枯れ色を見せ、そのうちに 抜いてよいのやら、悪いのやらとなり…
いつの間にか 小さなちいさなみどりの芽が出、やがて 蚊の温床のように緑が茂る。
そんな 秋草を庭で愛でるのは 今 らしくないのか。
草なのか、木なのか、秋の七草は床の間の植物か。


尾花はススキ、萩は小低木だか草のお化けだか、
葛花は葛根湯、くず粉、その蔓は行李にもなるし、繊維で葛布もできる。
撫子の花も薄い紅をして 毎年じわじわと移動する多年草。
女郎花、能では おみなめしと云う。黄色の小花が傘状につく、利尿剤とか。
藤袴は 淡紫の小さな花が房状につく、そして 朝貌の花。これまた なんの古名か…
鵞毛庵の観た桔梗もよし、槿もよし、
昼顔でもなんでもいいやぁ

正倉院展の季節  朝顔市から届けられた宿根系の朝顔が毎年越冬する  霜月にも葉を繁らせる これぞ朝貌の花か


要するに ほっといても毎年花が付く。毎年、まいとし、何年も、なんねんも。
宿根草、 しゅっこんそうと音便にして云う。
地上部分は枯れるが 地下茎や根が残って翌年も、また次の年も芽を出す。
これが秋の七草だ。


秋の七草がそろそろ終わりに近づく頃 毎秋の繰り返しに正倉院展が始まる。
今年は10月27日から11月12日まで 奈良国立博物館で開かれる。
東京では さっぱりであるが 京都など地下鉄の正倉院展ポスターはみごとなものだ。
正倉院には9,000点もの宝物が納められており、奈良天平文化を伝えている。
今年の正倉院展は聖武天皇、光明皇后遺愛の品々、文房具などの70点が展示され
文様表現の優れた宝物が多く出展されるのが特徴とのこと。
第59回展となる今年は17点の初出展があるという。
うぅ〜む …… 。  興味のないものは一つとしてない正倉院の品々である。



正倉院の宝物を見る正倉院展の季節 


正倉院の校倉 (あぜくら) はもと東大寺の倉で、光明皇后が亡き聖武天皇の遺品を
東大寺大仏に奉献したことに始まった。その後 大仏開眼会 (だいぶつかいげんえ) に
関わった物をはじめとして 仏具・調度・服飾、楽器類などあらゆる物が納められた。
宝物に及ばず 製作技法も西方を源流とするものが多々あるし、能の源流のひとつ 
散楽の様子を識ることの出来るものもある。
過去の文化は今の文化、今の文化は未来の文化である。
 てなこと云ってもこんな地球じぁな … 
シルクロード紀行だの 西域の残照だのと 囲み記事にも事欠かない宝物殿である。

が、今年もそんな季節になったかぁ。≠ニ 隣の萩になりそうである。 
枯れ草と 抜き取られる前にしっかり鑑賞しなくてはなるまい。


投稿日 2007年11月01日 13:00:16
最終更新日 2007年11月01日 13:00:16
修正
2007年11月20日
このところ、機械に全く弱い友人のパソコン指南役をおおせつかっている庵主。今まではなんだかんだと逃げていたのを、意を決してついに立ち向かおうと相成ったわけで、手取り足取り。何度でも言ってもらって自分でやらないと絶対に覚えられないのだと、何度も何度も同じ作業を忍耐強く繰り返しています。

三余堂の先回の記事から、そうそう、世阿弥の風姿花伝にも、と何年か前の作品を引っ張り出してみました。


稽古は強かれ諍識(じょうしき)はなかれとなり
Soyez dur à l’exercices, évitez la vanité prétentieuse


稽古は強かれ   La plume d'oie©鵞毛庵 2003 サイズ ハガキ大
                                                                                                                                                                                                                  
                                                                                         

                  La plume d'oie©鵞毛庵 2005 サイズ 38x25  稽古は強かれ

この諍識(じょうしき)の諍とは、争う心の意味に当たりますが、簡単に言えば、稽古には厳しく研鑽を積み、おごりや虚栄心は避けることといった意味。

耳がちょっと痛い。というのは、日本の駅の券売機が以前は庵主が帰国の際にもっとも苦手でした。使い方が判らないなどというのが人に知れるのも嫌で、見得もあるし、結局後ろの人たちから罵声を浴びせられたりが何度あったことか。
最近は多少齢を重ねて、三余堂が言うところの妙齢の婦人にはまだちとかかりますが、その手前のオバサンが板についたのか、何か不案内になると、すみません、判らないんですが、としっかりちゃっかり人に教えを請うようになりました。そうなるとやはり覚えるもので、スムーズにことが運びます。親切な人に感謝するやら、以前の自分を反省するやらしながら新しい技術を取得!駅で切符を買うのも怖くない! あ、先回はsuicaを購入しました。さらなる一歩前進。

前述の友人、まさに「稽古に強かれ」をまっしぐらの最中です。といっても、時々、そんなこと、もう判ってる!と、勢い良く言って貰いたいとも密かに願っている指南役なのですが。身に付くまでにはまだまだかかりそう....


投稿日 2007年11月21日 3:24:38
最終更新日 2007年11月21日 3:24:38
修正