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2010年10月20日
   あちこちで見かけるハロウィンの飾り。今年は結構板についてきてるかな?と思われるような、秋の自然の光景のようにも。鵞毛庵のカリグラフィーレッスンの教材にも欠かせません。

                       悪霊漂う (c)La plume d'oie 2010

   そもそも、このハロウィン、なんぞや??と思われる御仁も多いことと察し、簡単に解説をば致しましょう。

   もともとは異教徒の民間行事だったものが次第にケルト人の行事とつながっていったもの。ケルト人とは今でいうところのアイルランド周辺に居住していた民族で、フランスでもブルターニュ地方という北西のあたりに住んでいました。
   このケルト人にとって、10月31日というのは一年のおしまい。その年の収穫を感謝するお祭りでもあったわけです。そして、この一年の締めくくりの日に、死者の霊が家族のところに訪れるとか、あの世とこの世の間の門が開いて行き来が自由になり、精霊や悪魔がやってくるいう、と、こう聞くと、まるで日本のお盆のような。

   日本の場合は道しるべに火を焚いて、乗り物(お迎えには足の速いキュウリのお馬さんやら、帰りにはゆっくりのナスの牛さん)をご用意するのですが、ケルト人はそうではない! 

   精霊や悪魔に襲われてしまったり、死者に魂を吸い取られたりと、物騒です。そのため、魔よけとして仮面を被ったり、お迎えじゃなくて追っ払うために火を焚いたりしていたわけです。そこへ7世紀初頭キリスト教の伝播により、民間行事が宗教的にすりかえられていきました。キリスト教では11月1日は諸聖人の祝日で、その翌日が死者の日。10月31日は諸聖人の祝日の前夜祭ということで、英語のAll Hallows Eveから転じてHalloween ハロウィンと呼ばれるようになり、アイルランドを中心にアングロサクソン系の人達の間で行事として残っているのです。

    子供達がtrick or treat! お菓子かいたずら!といいながら人の家を訪ねるのは、古いケルトの風習では死者に食べ物やワインを施すというのがあり、キリスト教徒は死者の日に物乞いをして、その見返りに死者の天国への道を助けるお祈りをするという習慣あったことに由来するようです。

    そしてカボチャのランタン。これはある性悪な男の悲しい顛末。その男が死に際して天国の門へ着いた時、番人である聖ペトロをだましてこの世に甦り成功!さらに悪さを続けたので、再び天国に現れた際に聖ペトロの怒り爆発。
 聖人でも怒るんですな。

天国も地獄もダメ、ただひたすら暗闇に彷徨っていなさい!ということに。それを悪魔が哀れんで燃える石炭を一つ明かりとして分け与えたという話がもとになっています。悪魔の方が慈悲深い。

この明かりが夜な夜なちらりと見え隠れ。ひゅ〜どろどろ。

それがカボチャ(本来はカブだったとか)のランタンへ。
ちょうど季節の野菜なこと、種は炒って食べ、実はスープやケーキなどにと、無駄がない応用なのです。

    フランスでも10数年前に一気に導入を試みましたが、見事沈没! 商業ベースに便乗して云々と相当批判されて、今ではディズニーランドでの秋のイベントぐらいでしょうか?

    日本だと、秋には紅葉の戸隠の鬼女。そうでなくとも能の演目には精霊、亡霊、怨霊と季節を問わず頻繁に出没します。くわばら、くわばら。

悪霊漂う
狂言「武悪」  La plume d’oie(c) 鵞毛庵 2010

主人を脅かそうと亡霊になりすます死んだはずの奉公人武悪。

やっぱり生きてる人間が本当は一番怖い?!
投稿日 2010年10月20日 0:58:19
最終更新日 2010年10月20日 0:58:19
修正
2010年09月20日
今年の十五夜は今月22日です。
猛暑に残暑で、え?もうお彼岸?もう中秋の名月?という感じですが。

統計からみるに、十五夜がきれいに見える確立はかなり低く、曇っていることが多いのは、この季節、台風が多かったりするからだそうな。

この中秋の名月をお祝いする風習は平安時代頃に中国から伝わったもので、中国では今でも中秋節として大いに賑わいます。その一つが月餅を贈る慣わし。毎年この時期になると商店のかなりのスペースが中秋節の特設コーナーで占められて、パリの中華街も大賑わいでした。どれにしようか吟味している人達の真剣なことといったらありません。

中秋の名月はいかに    月餅の缶 月に住むという仙女が描かれている  

日本のお中元やお歳暮のように、日頃からお世話になっている人などに缶入りの月餅を贈るのです。これは中国がモンゴルの支配下にあった元朝の時代にさかのぼります。


臥薪嘗胆の頃には、まだ月餅は贈り合ってなかったわけですな。


言動や集会の自由を束縛されていた中国人たちが、どうにかしてモンゴル人から政権を奪い返そうとし、宋朝時代の指導者が中秋節が近づくことに目をつけ、中国には昔からこの時期月餅を贈り合う風習があるのだとモンゴル人の支配者に作り話をでっちあげたとか。そしてまんまと許しを得て月餅を作り、その中に中秋の満月の夜に反乱だというメッセージと反乱の計画を忍ばせで兵士全員に贈ったのです。中秋の満月の夜、見事不意討ちに成功し、その武勇伝から中秋に月餅を贈ったり食べたりするようになったと言われています。

元々農作物で丸い月を模して作られた月餅は、この武勇伝から団結の象徴、家族の絆ということにもなり現在でも家族、親戚、そして友人やお世話になっている人に月餅を贈る習慣が続いているのだそうな。

ヨーロッパでは月を愛でるという習慣は東洋ほどなく、しかし、妖しい月光にはかなり興味はあるようです。美しいというよりは何か邪悪だったり陰湿だったりするイメージの方が多いかもしれません。2007年の御題が「月」だった時に、それをテーマにお書初めをしようといろいろフランス語のテキストを探したら、出てくるものは暗くて妖しいものばかり。そんな中から、やっと見つけたのがジャン・コクトーの「月は彫像の太陽である。」という言葉でした。


La plume d'oie (c)鵞毛庵2007             中秋の名月はいかに

La lune est le soleil des statues.  月は彫像の太陽である   ジャン・コクトー  
画像はクリックすると少し大きくなります。

さてはて今年の名月はいかに?
投稿日 2010年09月20日 0:39:19
最終更新日 2010年09月20日 0:44:50
修正
2010年08月20日
読書の秋に....なんて、まだまだ猛暑が続いていますが。

24日から東京の吉祥寺にあるPARADA(パラーダ)で開催される「PARADA書店」という企画に参加します。
本をテーマにした企画展で、大勢の作家が参加しています。

鵞毛庵は豆本三種類と蔵書票を出展・販売。

豆本は「巴里の思い出」という写真とカリグラフィーとエッセイ、五月に展示したシャンソンシリーズから7曲選んで作品にコメントを付けた「シャンソンを描く」の二種に、1冊づつ手書きでデザインの異なる「魔法のアルファベット」は折本タイプでケース付、各10冊づつ出展。

                   読書の秋に

蔵書票はデザインは二種類。カラーとセピアバージョンの魔法のアルファベットシリーズの柄と、ゴティック風のアカンサスの葉模様。

読書の秋に

日本では書物はもとは和紙だったので 蔵書印の方がなじみですが、西洋の蔵書票またはラテン語でEXLIBRIS (エクスリブリス)は、本来は版画で作られ、蔵書する人の名前や、紋章、ゆかりのあるもの、好きな格言などを取り入れるのが正式。でも今回は誰でも名前や日付など自由に書き込んで使えるようにデザインしました。

著名な作家のデザインによる蔵書票になると、本来の蔵書票としてよりも、最近ではこれだけで美術品として収集されていることの方が多いようです。

さらにこの頃話題になっている電子書籍の出没で、ますます蔵書票の存在があやうい。 

蔵書票なんか貼るような立派な本なんか持ってないなァ...という声が聞こえてきそう。

そんな格式ばらずに!

鵞毛庵はパリから大切に持って帰ってきた、ちょっと古ぼけてきた



「天才バカボン」


にも貼ります。


投稿日 2010年08月20日 2:43:37
最終更新日 2010年08月20日 2:43:37
修正
2010年07月20日
  先日の三余堂の記事で葦について触れていたので、鵞毛庵が使っている南仏産の葦のペンをご紹介した次第。今回はもう少しその葦のペンのお話をば。

  この葦のペンをカラムqualamというのですが、その語源はギリシャ語で葦を意味する言葉。現在ではアラビア語やトルコ語などではペンや筆のことをカラムといいます。湿地帯に多く育つ植物ですから、ナイル河、チフリス・ユーフラテス河流域から広まっていったと思われます。その古代においてはさらに広範囲に渡って筆記用具として使用されていましたが、ヨーロッパでも羽ペンが定着するまではパピリュスや羊皮紙にカラムを使って字を書いていました。ルネサンス期の人文主義者達もまだカラムを使っていることが多かったようです。

  南フランスには湿地帯に暖竹といわれる葦の一種が密生していて、そのカラムがこちら。そのほか、竹のカラムも使われています。これはアジア産が主流になっています。

葦と竹のカラム。こうやって写真でみると違いが判りづらいですが。。。。


カラム


実際に生えている根元も竹のようで。。。。


葦のカラムで書いた作品。

                             カラム

                     能 「邯鄲」より La plume d’oie(c) 鵞毛庵2003

                        百年の歓楽も命終われば夢ぞかし
                    Cent ans fussent-ils de joie et bonheur
                    quand la vie s'achève ne sont plus que songe

書体はリュスティカというローマ時代のものなので、カラムを使用。

*作品の画像はクリックしてください。少し拡大されます。
投稿日 2010年07月20日 0:52:18
最終更新日 2010年07月20日 0:53:16
修正
2010年06月20日
                  アカンサスの花が咲いた!


   こちらの記事でも何度か話題に取り上げているアカンサス。コリント式の柱の柱頭の飾り、ヨーロッパ中世の頃の写本の装飾の葉模様のアラベスク、そしてシルクロードを経て日本までたどり着いた唐草模様の原型です。

アカンサスの花が咲いた!

La plume d’oie©鵞毛庵2009  部分
Un moyen de provoquer dans l’esprit des gens une émotion imprévue , voilà ce qu’est la fleur .
人の心に思ひも寄らぬ感を催す手立、これ、花なり。
世阿弥 「風姿花伝」 より

 ↑ こちらの作品の葉模様がアカンサスをデザインしたもの。

今、ちょうど花盛り。鵞毛庵アトリエのすぐ目と鼻の先に、玄関先にアカンサスが植わっているお宅を発見してびっくり。日本でもこんなところに普通にあるなんて!葉っぱは常緑なので、いつ花が咲くか密かに楽しみにしていた鵞毛庵です。


                           アカンサスの花が咲いた!                       

アカンサスについてはこちらをどうぞ。
投稿日 2010年06月20日 0:23:01
最終更新日 2010年06月20日 0:23:01
修正
2010年05月29日
今回は和紙を使った作品も。
                      展覧会のご報告  2   セ・フィニ La plume d'oie(c)鵞毛庵2010

邦題には「なげき」とされていることも。自分の下を去っていってしまった女性を後悔している男心の歌。展覧会のご報告  2 恋心 La plume d'oie(c)鵞毛庵2010

恋なんて〜なんになるの〜で有名な歌。原曲では恋なんて売れない、買えない。AMOURを燃やして破ってコラージュしたのは中国の紙。
愛の賛歌 La plume d'oie(c)鵞毛庵2010   展覧会のご報告  2
神が愛し合う者たちをめぐり合わせる 

この歌は本当はとっても激しく悲しい歌なのですが、日本での一般的なイメージがどうも違い、結婚式などで歌われることが多いとか。実は、不倫の恋から生まれた歌で、たとえ何がどうだっていい、愛し合う二人を神様がめぐり合わせてくれたんだから、ということなのです。

今月は能の花シリーズとはちょっと違ったものを、先日の「シャンソンを描く」シリーズからご紹介しました。
投稿日 2010年05月29日 12:54:02
最終更新日 2010年05月29日 12:58:00
修正
2010年05月24日
「五月のパリが好き」の展覧会はおかげさまで無事終了いたしました。

とても暑かったり、雨でお足元が悪かったりした中、お出かけくださいました皆様、どうもありがとうございました。

シャンソンとの企画も大変好評を得て、コンサートも盛会でした。

能の花シリーズとは雰囲気が違うとのご意見も。
やはりもとからフランス語のものを書くのは違うのでしょうか??

お運びいただけなかった方に、好評だった作品の中から少しご紹介いたします。


(c)La plume d'oie 鵞毛庵2010 展覧会のご報告

セ・シ・ボン C'est si bon  イヴ・モンタンYves Montand 1947年の歌。

 あてもなく腕を組んで歌いながらどこかに行くのは、すごくいい。
なんていいんだろう、甘い言葉を互いに交わし合うのって、どうでもいいことをだらだらと.....なんていいんだろう、二人が愛し合えば、理由なんかいらない、だってすごくいいんだから、だって、すごく、すごく セ・シ・ボン!


展覧会のご報告 (c)La plumed'oie 鵞毛庵2010

パリの空の下  エディット・ピアフÉdith Piaf の歌。
1954年の映画La Seine coule à Parisの挿入歌。

パリの空の下、セーヌが流れ、歌が飛び交い、恋が生まれ、恋人たちで溢れるパリの歌です。


展覧会のご報告 (c)La plume d'oie 鵞毛庵2010 

忘れじの面影 Tous les visages de l'amour シャルル・アズナブールCharles Aznavour 1974年の歌。

イギリスのTVドラマSeven faces of woman(七つの顔を持つ女) の主題歌として作られたもので、その折の原題は「She」。歌詞も英語です。その後、フランス語の歌詞がつけられました。
1999年、映画「ノッティングヒルの恋人」の主題歌としてエルビス・コステロElvis Costelloがカバーしてリバイバルヒットした歌です。

君はいつも違う魅力に溢れ、いったい誰なのかちっとも判らない、顔も様子も頻繁に違うから、年がいくつだろうが、なんと言う名前だろうが、天使だろうが悪魔だろうが、僕にとっては代わるがわるどれも愛おしい顔。

つづく....



投稿日 2010年05月24日 12:34:39
最終更新日 2010年06月01日 11:40:06
修正
2010年05月20日
          五月のパリが好き!

いよいよ明日から「五月のパリが好き」が始まります。
今回は「能の花」シリーズはちょっとお休みして、シャンソンをテーマに描いています。
 五月のパリが好き           
J’aime Paris au mois de mai  
  
  五木田摩耶 カリグラフィー展 シャンソンを描く
  小倉 浩二  シャンソン コンサート
  展    示  2010/5/21(金)〜2010/5/23(日)  
            13時〜19時(最終日は17時まで)
  コンサート  2010/5/22(土) 
            17時、19時 の2ステージ  

1ステージのみでも、2ステージでも料金は¥3500で1ドリンク付です。

展示作品と歌の解説などを交えたトークショーも予定  
  
  会   場  カフェ&ダイニング イマーゴ     
        東京都文京区千駄木3-48-2  TEL 03-3827-0881    
        営業時間 12:00-22:30 水曜定休
        
★交通 
         地下鉄 千代田線 千駄木駅下車 2番出口より徒歩5分
         JR山手線 西日暮里下車 徒歩5分
         いづれも道灌山下(どうかんやました)方面へ

コンサート等、お問い合わせはイマーゴTEL 03-3827-0881 、または鵞毛庵、小倉さんogurin☆fruits.jpまで。(☆を@に替えてください)

  会期中、フランスの学校で教える筆記体の無料体験を致します。会場にお手本をご用意しますので、エンピツやボールペンなど普段に使う筆記用具で、英習字とはちょっと違うフランススタイルの筆記体を気軽に体験していただけます。

こちらがその筆記体。
フランスの小学校で教える書き方です。五月のパリが好き!

英語とはちょっと違った書き方、お試しください!

投稿日 2010年05月20日 3:46:42
最終更新日 2010年05月20日 13:57:30
修正
2010年04月20日
  先日は4月も半ばを過ぎての東京での雪。昭和42,44年の4月以来、遅い雪の観測史上1位の記録だとか。衣替えが全くできずにどなたも苦労されていると思いますが、確か7,8年前のパリもそうでした。その年は一年の3分の2は殆ど同じ恰好をして過ごし、気持ちが滅入ったものでした。やれやれ。

  しかし、暖かくなくても暦はどんどん先に進んでいるわけで、あちこちで鯉のぼりを見かけるようになりました。木々もどんどん芽吹いています。そう、もうすぐ五月なのです。五月は日本では風薫るなどといって気持ちのよい季節なのですが、パリも五月が一番美しいとされています。すずらん、リラ、マロニエの花、藤の花がいっせいに咲いて、軽やかな空気に。


美しい季節に 藤やマロニエ満開のパリの街 美しい季節に


  その美しい五月のパリにちなんで、シャンソン歌手の小倉浩二さんとジョイントで「五月のパリが好き」と題して5/21〜5/23の3日間展覧会を催すこととなりました。今回は「能の花」シリーズはちょっとお休みして、シャンソンを描きます。日本でも馴染み深い歌を中心に、原曲の歌詞からイメージした作品を準備中です。5/22(土)にはシャンソンのコンサートもありますので、是非お出かけください。 

                   美しい季節に  

          「J'aime paris au mois de mai」 2010(c)La plume d'oie 鵞毛庵
            画像はクリックすると大きくなります。 

  五月のパリが好き
            J’aime Paris au mois de mai
  
  
  五木田摩耶 カリグラフィー展 シャンソンを描く
  小倉 浩二  シャンソン コンサート
  展    示  2010/5/21(金)〜2010/5/23(日)  
            13時〜19時(最終日は17時まで)
  コンサート  2010/5/22(土) 
            17時、19時 2ステージ 1ドリンク付¥3500
  会   場  カフェ&ダイニング イマーゴ
   
  
        東京都文京区千駄木3-48-2  TEL 03-3827-0881    営業時間 12:00-22:30 水曜定休

        ★交通 
         地下鉄 千代田線 千駄木駅下車 2番出口より徒歩5分
         JR山手線 西日暮里下車 徒歩5分
         いづれも道灌山下(どうかんやました)方面へ


コンサート等、お問い合わせはイマーゴ、または鵞毛庵、小倉さんogurin☆fruits.jpまで。(☆を@に替えてください)

  会期中、フランスの学校で教える筆記体の無料体験を致します。会場にお手本をご用意しますので、エンピツやボールペンなど普段に使う筆記用具で、英習字とはちょっと違うフランススタイルの筆記体を気軽に体験していただけます。


  「五月のパリが好き・J’aime Paris au mois de mai」(ジェィム パリ オーモワドゥメ♪)は、シャルル・アズナブールの軽やかな歌です。早く季節らしい陽気がやって来ますように!
投稿日 2010年04月20日 11:55:26
最終更新日 2010年04月20日 12:12:34
修正
2010年03月20日
  今の時期になると、本当に日本人はみなソワソワ。桜がいつ開花するのかが重大事です。いつだったか、フランス人に日本ではテレビや新聞で桜の予報が連日報道されるんだって?と聞かれたこともありましたっけ。

   先日、鵞毛庵は木挽町で満開の桜を愛でて来ました。と、いうのは、歌舞伎座で桜門五三桐(さんもんごさんのきり)を幕見で観劇。ご存知天下の大盗賊石川五右衛門が南禅寺の山門の楼上で煙管をくゆらせながら、絶景かな、絶景かなと京の都の爛漫たる桜を愛でるシーン。たった15分足らずだけれども、歌舞伎の形式美がぎゅっと凝縮された豪華な舞台です。桜が咲き誇っているところに本当に自分もいるような気分に。

   昨年から鎌倉能舞台主催の「能を知る会」の公演の際、演目に合わせた作品をポストカードにして会場で販売させて頂いており、来月は道成寺。今までも道成寺は何作か書きましたが、今回は新作をと思索中で試作中です。
ほんの一部をば。


                      La plume d’oie©鵞毛庵2010 桜はまだかいな

入相の鐘に花ぞ散りける。石川五右衛門のせりふにもありました。

  今年は能の花シリーズと並行して、フランスのシャンソンをいくつかシリーズで制作。5月にシャンソンのコンサートと共に発表する予定になっておりますので、それはまた改めてお知らせいたします。乞うご期待!

投稿日 2010年03月20日 22:30:53
最終更新日 2010年03月20日 22:30:53
修正
ただいま編集中につき、しばしの間、お待ちくださいませ。

今月の案内望遠鏡で登場した三余堂のクロッカスはただいま花盛り。


しばしの間

そしてこちらの画像はサフランのめしべ。水にひたすと黄色くなります。スペイン産のもので、料理にも使うし、写本装飾にもと思っていても、ずっとこの小瓶にとじこもったまま鵞毛庵のアトリエに鎮座しています。
フランスでは春真っ先に咲く花にミモザ、黄水仙、れんぎょうなど、黄色の花が目立ちます。

ミモザ/パリの花屋さんで  しばしの間

日本では、今か今かと桜を待つ季節。
投稿日 2010年03月20日 18:16:31
最終更新日 2010年03月20日 18:16:31
修正
2010年02月20日
   寒明け、立春あたりからものすごく寒くなり、東京でも雪が降り積もったりして、そう簡単に春はまだまだやってきません。でも、日脚も伸びてきたし、鳥の声も少しだけ軽やかになってきたような。

                       春はまだまだ

                      能「老 松」より  梅の花笠春も来て縫ふてふ鳥の梢かな
La Plume d’Oie © 鵞毛庵 2007
Ô fleurs de prunier,coiffure que porte à sa venue le printemps,
Et que l’oiseau, dit-on, tresse à travers les branches

画像はクリックすると大きくなります。

  この書体、ちょっと見慣れないものだと思います能楽さんぽの記事でも以前にご紹介したメロヴィンガ朝(481〜751年)の頃の書体です。小文字しかない書体で、一文字づつ一応決まった形はあるものの、単語や文章になると崩されて繋がって文字が変化してしまうという厄介な書体です。現存する写本がとても少ないのですが、とても有名なのはフランスのLuxeuilリュクソイユの写本というのがあり、それがこの書体のモデルになっています。

春はまだまだ  
7世紀末のリュクソイユの修道院の写本の部分(パリ国立図書館蔵)
リュクソイユの修道院は4世紀にアイルランドの僧侶聖コロンバンによって創立
投稿日 2010年02月20日 1:00:00
最終更新日 2010年02月20日 1:02:56
修正
2010年01月20日
  毎年恒例になっている御題に添ってのお書初め、今年は「光」です。


画像をクリックすると拡大されます。 光

Il n’y a pas de lumière sans ombre. Louis ARAGON
La plume d’oie© 鵞毛庵 2010

  「影なき光はない」。フランスの小説家ルイ・アラゴンの言葉です。確かに、光と影は表裏一体。光が当たっている裏側には必ず影があり、まるで影に支えられているようです。

  ヨーロッパの写本の装飾の技術では、単なる光と影以外に、もうひとつ、光の当たっている影というのがあります。光を直接浴びていず、かといって完全には陰になっていない箇所のことです。写本装飾の技法では、まず下地になる色をべた塗りして、次に影を重ねて塗り、さらに光の当たっている影、光と順番に重ねていきます。この三拍子揃わないと描くものが立体化されないのです。

光

スペイン 1398年〜1405年頃 カタロニアの写本から

  画像の写本のアカンサスの葉模様の青や赤をご覧下さい。影になっているところが一番濃く、お次は少し薄め、そして光が一番当たっているところを白でくっきり描いて立体感を出しています。
影がなければこの立体感は成立しません。

まさに影なき光はない世界なのです。


  能の面の表情が 演者のしぐさひとつで変わるのも、この光と影のなせるわざ。
投稿日 2010年01月20日 12:00:15
最終更新日 2010年01月20日 12:00:15
修正
2009年12月20日
   NHKの教育テレビで、今、久々に人形劇をやっています。アレクサンドル・デュマ原作の「三銃士」。これはダルタニアンという若者が田舎からパリに出てきて、フランス国王の銃士隊に加わり、さまざまな体験をして成長していく物語で、実は3部作からなり、「三銃士」はその一部目にあたります。最初は若者として登場するダルタニアンも、三銃士たちも老齢に達するまで長く話は続きます。もともと新聞小説としてスタートした長編時代劇です。何度も映画化されているし、日本ではアニメもありました。

   主人公のダルタニアンも三銃士も実在の人物で、ちょっと調べものをしていたら、ダルタニアン直筆の書を見つけました。1672年のものです。


羽ペン

   物語の中でも、密書やら手紙やらいろいろ登場しますが、当時は羊皮紙に羽ペンで書いていて、インクは9月に庵主がワークショップを行った酸化鉄インクです。
   当時の一般的な筆記道具であった羽ペン、削り方は覚えてしまえばさほど大変ではありませんが、エンピツを小刀で削るのと同様、得手不得手があるはずだし、字を読み書きする人でも、削るの苦手!という人がいたとしてもちっともおかしくありません。そこで、もうひとつ発見。17世紀には羽ペン削り器なるものが存在していたのです。 何やら調節できるようになっていて、一発で羽の先がペン仕様にカットされるとか。どのような構造になっているのか、写真では詳細は定かではありませんが、なかなか興味深いものです。
 パリにあるペンの博物館所蔵                           
   羽ペン
         拡大には画像をクリック

    羽ペンだと適度に柔らかく、細いラインの装飾のアラベスクなどが書き易く、メタルのカリグラフィーペンとは全く違った書き味です。
                                 羽ペン
La plume d’oie© 鵞毛庵2007 能「半蔀」部分
拡大には画像をクリック


いよいよ2009年も余すところわずか。
みなさま、今年も一年間ご愛読ありがとうございました。
どうぞよいお年をお迎えください。





投稿日 2009年12月20日 12:48:12
最終更新日 2009年12月20日 12:59:49
修正
2009年11月20日
世阿弥の秘伝書
La plume d’oie©鵞毛庵2009
Un moyen de provoquer dans l’esprit des gens une émotion imprévue , voilà ce qu’est la fleur .
人の心に思ひも寄らぬ感を催す手立、これ、花なり。
世阿弥 「風姿花伝」 より
画像はクリックすると少し大きくなります。

  三余堂が何度かその記事で触れている世阿弥の秘伝書はフランス語に翻訳されています。世阿弥の書が発見されて今年で100年なのだけれども、フランス語訳が出版されたのは1960年のこと。すでに半世紀になります。
  その数年前の1957年にはフランスで初めて能が演じられました。これには庵主の父も参加しています。この公演は当時評判は高かったようですが、それは本当に理解されたからでなく、書物からの少ない情報しかなかった観客が、ただただその神秘的な雰囲気に圧倒されていたので、実はまったく理解できなかった、退屈したというのが正直なところだったと、世阿弥の秘伝書の翻訳者が前書きで語っています。

  そこで、日本でもずいぶん研究が進んできたし、これからはフランス人も能を実際に鑑賞することがより一層あるだろうから、演目のテキストの翻訳だけにとどまらず、芸術の理論家としての世阿弥を通して能楽を紹介する時期が来たと、能勢朝次などの著書をもとに風姿花伝等を仏訳することになったわけです。この翻訳が功をなしたかどうかは判りませんが、庵主がパリに住んでいた間に確かに能公演はどんどん盛んになり、チケットもすぐ完売するというほどにまで。


世阿弥の秘伝書

 画像の本が世阿弥の秘伝書の翻訳版 La tradition secrète du Nô (能の秘伝)。これは1985年に再版されたもので、庵主はその折に入手し、ちょっと年季が入ってきました。
なんだか表紙が内容と合ってないな〜〜〜と気になってましたが、1960年初版の表紙は千仏画、これは大凧の武者絵みたいで、フランスで日本っていうとどうしてこうなんでしょう? しかし、最新の再版の表紙は能面の写真に替わっていて、それが痩せ女の面っていうところがフランスっぽい。変なこだわりです。この変遷はなんとなくフランスにおける日本文化の浸透の一面を表しているような気が。 


世阿弥の秘伝書   
中はこんな具合。10月1日の案内望遠鏡に載っている本の画像とだいたい同じ部分にあたります。

  長きに渡り埋もれていた書物、震災や戦災による損失があったものがこうやって外国でも翻訳、出版されて後世に残るなどと知ったら、世阿弥はいったいどんな顔をするでしょうか....
投稿日 2009年11月20日 17:07:00
最終更新日 2009年11月20日 17:07:00
修正
2009年10月20日
 三余堂の先回の記事で隅田川のことを書いていますが、庵主は時代劇に出てくる大川ってどの川?と、よくパリで日本人に聞かれたものです。他県の人のみならず、東京出身の人にも聞かれたほど!隅田川のことだといとも簡単に答えていましたが、三余堂が語るように、隅田川の変遷はちとややこしい。

                          都鳥
 
                       能「隅田川」 La plume d’oie©鵞毛庵2009
                       (画像はクリックしてご覧ください。大きくなります。)

*この作品はポストカードにしたものを、26日に鎌倉能舞台で、当日の演目の狂言「茶壷」の作品とセットで販売いたします。 


在原業平の古歌に登場する都鳥はユリカモメのことらしいですが、ミヤコドリというカモメもいて、こちらもちとややこしいですね。一応、伊勢物語にある描写に近いものということで、この古歌に登場する都鳥はユリカモメに落ち着いている様子です。「都の鳥」ということで、東京都の鳥にもなっています。

カモメはパリのセーヌ川にもたくさんいます。あれが、都鳥、ユリカモメですよ、と言った日本人もいましたが、本当はどうなのか。

 
都鳥  こちらは地中海を眺めて物思いにふけるモナコの○○カモメ
何を「いざ言問はむ」?  

投稿日 2009年10月21日 11:27:14
最終更新日 2009年10月21日 11:28:14
修正
2009年09月20日
昨日小津和紙博物舗の文化教室でのカリグラフィーの一日講習の後、すぐ近所の三井記念美術館で「夢と追憶の江戸」 を見てきました。慶応義塾の高橋誠一郎浮世絵コレクションです。その多くが青や赤や黒がくっきりととても鮮明な色を保っています。

ちょうど先週末、中世ヨーロッパのレシピでゴールインクを作ろうというワークショップを開いた庵主ですが、その前の9月6日にテレビ番組
「ザ!鉄腕!DASH!」 で天然顔料の色を探すというのがテーマになっていました。昔の絵から赤、黄、青、緑、紫、白と黒の7色選んでその天然材料を見つけるというもの。そこで黒色は写楽の役者絵「市川蝦蔵」の髪の毛の「黒」。文献を紐解いたり専門家に聞いたりしてたどりついたのが「五倍子(ごばいし)」。おお、なんというタイミング!

いにしえの色  
三井記念美術館「夢と追憶の江戸」のパンフにある写楽の役者絵 まさにこの絵が[ザ!鉄腕!DASHI!」で黒と黄色、白の見本に選ばれていました。これが展示されるのはこの展覧会の後期


ゴールインクのゴールとは、英語で虫こぶのことを指し、ブナにできる没食子(もっしょくし)やヌルデにできる五倍子がそれにあたります。この虫こぶはタンニンを多く含み、それを抽出して、酸化鉄と合わせたものがインクになります。日本では古来から染料として五倍子を使っており、鉄漿(おはぐろ)の原料として知られています。ぬぬぬ?鉄漿とゴールインクは同じもの??そうなんです。染料以外に、没食子や五倍子は漢方薬としても使われていて、止血、止汗、下痢などに効能があるとか。(でもインクはくれぐれも飲まないように!)

ゴールインクの材料 硫酸第一鉄、粉砕された五倍子、丸いのは没食子いにしえの色

このインクは書き始めは薄めの色合いですが、時間が経つと鉄が空気に触れて酸化し徐々に濃くなっていきます。中近東あたりで発祥し、ヨーロッパには12世紀ごろ広まって、古文書の殆どがこのインクで書かれています。
本来は羽ペンで羊皮紙に書くところですが、19日付記事にも掲載した「清経」など普通の紙の作品にも庵主はこのインクを時々使用しています。


いにしえの色

La plume d’oie© 鵞毛庵 2007 能「葵上」部分

三井記念美術館の展示はなかなか見ごたえあり、いにしえの色をたっぷり満喫。

「土蜘蛛」、「安達原」など能の曲目を題材にした浮世絵もいくつかありましたが、題材として選ばれているだけで、どれもなぜかおどろおどろしいものばかり。「景清」も恐ろしい形相で...。
しかし、それはこれらの曲目や話が当時ポピュラーな題材だったということでしょうけれど。
投稿日 2009年09月20日 11:20:06
最終更新日 2009年09月22日 9:37:21
修正
2009年09月19日
ここ数日、能楽さんぽにアクセスできない状態で、皆さまには大変ご迷惑をおかけ致しました。申し訳ございません。

本日より、再開致しましたので、引き続きご愛読のほど、どうぞよろしくお願い致します。


            お詫び
          La plume d'oie(c) 鵞毛庵 2009   能「清経」
投稿日 2009年09月19日 9:36:48
最終更新日 2009年09月19日 9:36:48
修正
2009年08月20日
  昨年7月には夏の風物として納涼でお化けのお話をした鵞毛庵ですが、今年は別の風物で、蝉。

  朝から夜遅くまで、ミンミン、じりじりと賑やかな蝉。この声を聞くと、ああ夏だァと暑さが増すものの、なんだかうれしい。

  と、いうのは、長年住み暮らしたフランスでは、南にくだらないと蝉が生息していないのでパリでは全く馴染みがなく、夏=蝉という方程式が成り立たちません。

  南仏に夏のヴァカンスで行った際には蝉の声がたっぷり聞けて一人ではしゃいで友人達に変な顔されたこともありました。蝉は南仏のプロヴァンス地方では夏の太陽いっぱいで幸せのシンボルとして置物や布のモチーフに使われているのに、普通のフランス人にとってはただの騒音で馴染みのない昆虫なのです


              夏といえば   と題して  夏といえば   と題して                    
                   Une douce brise s'élève du chant des cigales
                        La plume d’oie©鵞毛庵 2002   

                画像はクリックすると大きくなります。              

 花鳥風月シリーズとして2002年に書いた作品から「そよ風は蝉の声より起る哉」という小林一茶の句。芭蕉の句「閑さや巖にしみ入る蝉の声」も好きだけど、この一茶の句の閑かさも好き。

 しかし、ベランダのコンクリートの壁に鎮座して長いこと鳴かれると、ちと、うるさすぎるぞォ〜〜〜ッ、と、気分は仏蘭西人に。


夏といえば   と題して
投稿日 2009年08月20日 21:04:00
最終更新日 2009年08月20日 21:11:32
修正
2009年07月20日
処変われば祝日も...と、今日は日本は祝日だというのは、夕べ遅くに気付いた鵞毛庵。
梅雨明けが例年より早く、暑い毎日が続いていますが、皆さま、お変わりなくおすごしでしょうか?

東京で7月の風物といえば、入谷の朝顔市に浅草のほうずき市。その入谷から今年は朝顔や夕顔が三余堂にやって来ず、ちょっぴり残念。

先日、片付けの途中で鵞毛庵の母の蔵書の一冊を手にとってしげしげ眺めたのに「ヨーロッパの花の装飾文様」。日本語のタイトルと合わせてフランス語の原題付き。これは1896年にパリで刊行されたグラッセという人の監修による本を日本で覆刻したものでした。パリの本屋さんで時折見かけた本が家にあったとは!!
実際の花のスケッチとそれを文様、図案化された例が何点かづつ掲載されています。中には、あ、あれはこの花だったのか、などという発見も。

さて、その中に見つけたのが画像の文様。ひょうたん です。

          
                         処変われば

おお、これは夕顔の図じゃ。

能の「半蔀」でお馴染みの蔀にからむ夕顔の作り物を思い浮かべました。


処変われば

La plume d’oie © 鵞毛庵 2007 能「半蔀」 部分
頭文字の装飾は能「半蔀」の舞台の作り物より着想
画像をクリックすると大きくなります。

夕顔のことは三余堂が2006年10月に書いた記事で触れていますので、そちらを改めてご参照ください。

処変わっても似たようなもの。
投稿日 2009年07月20日 13:15:05
最終更新日 2009年07月20日 13:15:17
修正
ただいま準備中!

                  no subject



                    善福寺公園の睡蓮
投稿日 2009年07月20日 9:15:19
最終更新日 2009年07月20日 9:15:19
修正
2009年06月20日
往時渺茫

La plume d’oie ©鵞毛庵 2007  能  善知鳥より (部分)

往時渺茫としてすべて夢に似たり
Des choses d’antan le reflet lointain n’a plus de consistance qu’un rêve


月探査機の「かぐや」から送られた地球の姿は目を見張る青さだったが、アポロの足跡の映像も送られて、ああ、あの日、双眼鏡片手に月を見つつ、実況中継を見ていたなァとぼんやり思い出しました。
これじゃ、うさぎさん、落着いて餅つきできませんな〜〜。

先日、三十年ぶりに幼馴染み数人と再会する機会があった庵主は、往時渺茫たる気持ちになるも、しばらくすると、みな、たちまち幼い頃の顔と声がよみがえり、夢ではない楽しいひと時を過ごすことができた次第。
しかし、人の記憶、それも子供の頃の記憶というのは曖昧なもので、同じことを話しているのに、食い違ったり、覚えていなかったりで、やはり往時渺茫であったかも。
投稿日 2009年06月20日 11:19:18
最終更新日 2009年06月21日 0:30:58
修正
2009年05月20日
                        万緑  

                  La plume d’oie © 鵞毛庵 2007

                      高砂 松も色そい春ものどかに
               Des pins la couleur profonde et du printemps la sérénité

すっかり万緑の季節になりました。この万緑(ばんりょく)とは、 草木の緑が最も色濃い様子を言い、俳人中村草田男(1901−1983)が「万緑の中や吾子(あこ)の歯生え初(そ)むる」と使ったことにより、新しい季語となったものです。新しく芽吹いた木々の力強さが感じられます。

この春からアトリエを東京に移した庵主は、近所にこんもりと大きな木を再発見。これは樹齢200年以上になるという杉並区の保護樹のケヤキで、この界隈では「トトロの樹」と親しまれているものでした。なんでも、マンション建設計画で伐採されるところを、近所の住民が猛反対。区がこの土地を買い上げて公園にすることになり、「トトロの樹」は無事救われたとのこと。アトリエのバルコニーから真正面に見えるまあるい大きな樹は、今、まさに万緑のエネルギーに満ちています。


万緑  「トトロの樹」
                         ただいま土地の整備中。
                                 
投稿日 2009年05月20日 17:32:09
最終更新日 2009年05月20日 17:32:09
修正
2009年04月20日
                   桜蘂 La plume d’oie© 鵞毛庵 2007

花なくしてしおれどころ無益なり  
Sans la fleur l’évanescence serait sans objet

今年は東京でお花見に興じた庵主。その桜もすっかり散ってしまいましたが、その後、赤みがかったガクに残った蘂(しべ)を降らせ、どんどん緑の葉が茂ってゆきます。俳句の季語に「桜蘂降る」というのがありますが、散った蘂で赤くなっている地面に桜を最後まで愛でてやまない哀愁が感じられるものです。美しい花があってこその桜蘂。


桜蘂 花の雲の下花見客賑わう小金井公園

そして街はやがて新緑から万緑の季節へ。


桜蘂 La plume d’oie© 鵞毛庵 2007

高砂 松も色そい春ものどかに
Des pins la couleur profonde et du printemps la sérénité
投稿日 2009年04月20日 19:47:57
最終更新日 2009年04月20日 19:47:57
修正
2009年03月20日
春霞 たなびきにけり 久方の

彼岸のお中日 春もそこまで
羽衣を題材にした作品が 季節を知らせます

               羽衣

羽衣 朱で右下に羽衣と …




 
投稿日 2009年03月20日 0:10:10
最終更新日 2009年03月20日 0:10:10
修正
2009年02月20日
只今 編集中!

東京にある 作品をちょっとお目にかけて……


こんな実用品にもなります   no subject

風姿花伝から世阿弥の言葉などをあしらった 大小の袱紗はお土産を包んだり、出先での荷物まとめに活躍します。 
投稿日 2009年02月22日 22:31:14
最終更新日 2009年02月22日 22:31:44
修正
2009年01月20日
昨年末は腱鞘炎と多忙につき、鵞毛庵担当の記事を編集中のままとして、年を越してしまいました。いやはや。

今年は年明けすぐ、久しぶりのかなりな寒さに見舞われて巴里はすっかり雪景色に。そして連日気温は氷点下だったため、積もった雪が凍りついて溶けないままでした。ここ数日、やっと気温も上昇。

これでいいのだ! 雪のパレロワイヤル庭園

腱鞘炎は当分完全に治ることはなく、仲良く付き合っていかねばなりません。そこでせっせと中華街の鍼医通い。

鉛筆やボールペンで普通に字を書くのが非常に困難なのですが、幸い、カリグラフィーはペンを持つ指先の動きがかなり固定されているからか、多少は書けるので毎年恒例のお書初めをいたしました。

今年のお題は「生」。
              これでいいのだ!

L'essentiel n’est pas de vivre, mais de bien vivre
大切なのは生きることではなく、良く生きることである。
プラトンの格言です。


庵主のこのお書初めを見た友人曰く、「よく生きるなんてつまんない。長く生きる方が絶対いい!」。
いろんなこといっぱいやって、いろんな目にあって、山あり谷ありの繰り返しの人生が絶対楽しいと。

赤塚不二夫風に最終的には辻褄があっていれば、人生「これでいいのだ」!

そして、おいしいものもいっぱい頂かなくちゃ!と、今年もまづはひたすらガレット・デ・ロワをぱくついている庵主です。

これでいいのだ!
投稿日 2009年01月20日 21:07:45
最終更新日 2009年01月20日 21:07:45
修正
2008年12月20日
ただいま編集中につき...

              no subject

          ストラスブールのクリスマスツリー
投稿日 2008年12月20日 20:18:11
最終更新日 2008年12月20日 20:18:11
修正
2008年11月20日
                江口

                      La plume d’oie© 鵞毛庵 2005 「江口」
                 世の中を厭ふまでこそかたからめ仮の宿りを惜しむ君かな
                 Combien il est difficile, certe, d’arriver à renoncer à ce monde
                 O, vous qui répugnez à accorder un asile d’instant

 書いた張本人の庵主でさえ、え?この字はなんだっけ?と思うメロヴィンガ朝(481~751年)の書体にての作品。

 能「江口」は旅の僧が江口の里で、かつて西行法師が詠んだ「世の中を厭ふまでこそかたからめ仮の宿りを惜しむ君かな」を口ずさむと遊女江口の君の霊に出会います。その霊が西行に一夜の宿を断ったわけを話し、さらに秋の月影での舟遊びの有様など語り、やがて普賢菩薩となって昇天するというお話。お坊さんと遊女というちょっと艶やかな物語ですが、この世の迷いを捨てれば魂は救われるということが話の根底に流れています。

実はこの「江口」の一節、お弔いの際によく謡われます。

 折りしもカトリックでは11月は死者の月とされていて、亡くなった方々を弔う季節。フランスでは11月1日の諸聖人の大祝日(万聖節)にお墓参りに行くことが習慣で、季節的なことでしょうが、なぜか墓前の花は菊。しかし、色とりどりの鉢植えをお供えするのが一般的です。



道端に菊の鉢を広げる花屋さん江口
投稿日 2008年11月20日 2:18:12
最終更新日 2008年11月20日 2:18:12
修正
2008年10月20日
まだ日本では少し早いと思いますが、フランスはかなり色づいて来ています。

紅葉も黄葉もどちらも「こうよう」で、従ってどちらも「もみぢ」。だいたい「もみぢがきれい」などと聞くと、カエデが紅く色づいた方を想像しがちですが、広辞苑を見るに、奈良時代の頃は黄葉と書くほうが多かったとか。


 
                    紅葉黄葉 

La plume d’oie © 鵞毛庵 2008

              紅葉狩  人こそみえね秋は来て...
           Personne ne me rend visite, l’automne est déjà là

フランスで身近なところで紅くなる代表は蔦。パリ市内のアパートの壁にもびっしりという光景が見られます。
紅葉黄葉

でも、黄葉のほうが一般的に多くみられ、庵主が住む通りのユリノキも黄色くなってきました。もう少し寒くなるとニレもだんだんと黄色くなり、お天気が良ければ日を浴びて、暗くなると街灯に照らされて、まさに黄金色に。このためなのかどうか?数年前から街路樹がライトアップされるよう新しい街灯が付けられました。黄金色一色の黄葉はそれはそれで美しいものです。

                   紅葉黄葉

投稿日 2008年10月20日 20:17:29
最終更新日 2008年10月20日 20:17:29
修正
2008年09月20日
1週間ほど前が十五夜で中秋の名月。

月は一年中見えるけれど、秋は特にそのさやけさや清らかさが増すということから、俳句では単に「月」というと秋を指します。それで名月といったら中秋の十五夜。そして十六夜、立待(たちまち)、居待(いまち)、臥待(ふしまち)、更待(ふけまち)と毎夜、お月様には名前があります。そしてその間の月が出るまでの闇を宵闇といいます。

雪月花や花鳥風月として、美しさと四季の風情に大活躍で、中国でもよく詠われるお月様ですが、西洋ではどちらかというと、魔性の趣を秘めている意味に使われることが多く、2007年のお題にあわせての書初めで、「月」に関するフランス語の例文を探した時に苦労したものです。

謡の詞章にもたくさん出てきますが、今回ご紹介するのは「道成寺」より。



中秋La plume d’oie © 鵞毛庵 2005
月落ちて鳥啼いて... La lune descend,les oiseaux crient…

画像をクリックすると大きくなります。

書体はアングレーズ、日本ではカッパープレートといわれているものを多少アレンジしてあります。この書体は18世紀以降、貿易が盛んだったイギリスで発展。さまざまな書類を迅速に読みやすく書くという必然から生まれた書体で、カリグラフィーの書体とはして一番新しいものです。画像のようなペンで書きます。(またまた黄瀬戸の笛登場!)

                                 中秋

巴里のアパルトマンでは美しい月に笛の音色というわけにも参らず。

投稿日 2008年09月20日 19:52:32
最終更新日 2008年09月20日 19:53:40
修正
2008年08月20日
カラス口

La plume d’oie©鵞毛庵 2007 
葵上 人間不定芭蕉泡沫の世の習い 昨日の花は今日の夢と 
L’homme est précaire autant que la feuille du bananier ou l’écume légère
Fleur hier songe aujourd’dui


先月は幽霊が登場しましたが、実は生身の人間の方がよっぽど怖い。幽霊なんざ、あいつぁ飯食ってないんだから怖いこたぁありゃしないというわけでして、生霊。生霊といえば六条御息所。

書体は自分流にアレンジした自由書体で、赤い文字は先回紹介した幅の広いペンを使用。黒字のテキストはカラス口で書きインクが乾かないうちに水をにじませています。


カラス口

2月20日の記事でも紹介しましたが、カラス口は製図用の道具。しかしコンピューターの普及によりお払い箱の憂き目にあいつつあります。

投稿日 2008年08月21日 3:55:03
最終更新日 2008年08月21日 3:55:03
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2008年07月20日
納涼に暑気払いで怪談噺というのが日本では定番。

しかし、能の演目では季節に関係なく実によく幽霊などのこの世のものじゃないものが登場します。
 
               
                 夏といえば...                 

船弁慶   La plume d’oie© 鵞毛庵 2005 桐箱寸松庵サイズ

能「船弁慶」は源義経が兄頼朝に疎まれて西国に落ちようとする際に、静御前と別れ大物ヶ浦で平知盛の亡霊に出会うお話。

書体はフリーハンドで幅の広いペンと筆を使用し、大物浦の荒波で亡霊に出会う義経一行をイメージして仕上げました。

幅の広いペンとは、竹や葦など幅広に削ってペン(カラム)にしたものや、既製品のペン先にも幅の広いものがあり、細いラインと組み合わせてコントラストを楽しむのに頻繁に使用しています

                
                 夏といえば...

芝居だとヒュードロドロっと、太鼓の「うすどろ」に笛の音取にあわせて焼酎火がゆらゆら〜〜〜っ、
ぞ〜〜〜ォッとなって涼しくなるところですが、今では冷房が効いているからそんな効果は期待できないかも。
 
夏といえば...

冷房の普及といえば、以前は夏場には袴能といって装束をつけずに能を演じたものですが、近頃は野外での薪能の方が盛んになりました。

パリの今夏はいまのところちっとも暑くなく、でも、やっぱり夏なので、今夜は圓朝作「牡丹燈籠」か、はたまた「真景累ヶ淵」でも聞きましょうか。
いや、小林正樹の映画「怪談」(小泉八雲原作)で「耳なし芳一」かな。
 

            
投稿日 2008年07月21日 7:35:53
最終更新日 2008年07月21日 7:36:09
修正
2008年06月20日
三余堂が度々訪れる秋田は美人で名高く、その代表が小野小町。 絶世の美女であり歌人としても優れた小野小町は、諸説ありますが、秋田の雄勝というところが出身地とされています。

能にはこの小町を題材にした曲目に「草子洗小町」「通小町」「鸚鵡小町」「関寺小町」「卒都婆小町」があり、優れた歌人、深草少将の百夜通い、年老いて乞食となった姿などが描かれています。


小野小町La plume d’oie©鵞毛庵 2003

草子洗小町 (画像はクリックすると拡大)

霞立てば遠山になる朝ぼらけ
Quand brume s’élève,
lointaines paraissent les montagnes dans l’aube indécise
平筆でローマ時代の書体リュスティカの重ね書きの上にカラス口で自由書体。 
 La plume d’oie©鵞毛庵 2005  小野小町   

卒都婆小町 (画像はクリックすると拡大)

花を佛に手向けつつ 悟りの道に入らうよ 悟りの道に入らうよ
De mes mains tendues offrant des fleurs au Bouddha,
je veux entrer en la voie de l’illumination, je veux entrer en la voie de l’illumination
竹や葦のカラム(ペン)を使用して自由書体。

小野小町といえば能「通小町」の題材でもある有名な深草少将の百夜通い。一説には、少将に毎夜芍薬の花を持参させたというのがあり、また、百夜目の逢瀬がかなわなかったことに由来して、その昔は小町が植えたとされた99本の枝をつける芍薬があったとか。

生誕地とされる秋田県の雄勝郡雄勝町(現在は湯沢市)では、毎年6月に「小町まつり」が催され

小町芍薬苑は6月が芍薬の花まつり。

130種類6000株植えられているなんて、今頃はきっと素晴らしい光景でしょう。芍薬苑のサイトの図鑑に「小町」の名のついた芍薬がないのが意外な気もするけれど、新幹線やお米にお株を取られたのかな? 

          
                小野小町 

こちらの芍薬は「サラベルナール」。
その名前から、おそらくフランス人が改良した品種なのだろうと思います。サラ・ベルナールSARAH BERNHARDT(1844〜1923)はフランスの舞台女優として一世を風靡した人です。
立てば芍薬と、容姿端麗な女性を形容しますが、これは花も大きくて厚みがあり端麗というより豪華絢爛。

庵主は立てばギクシャク.....


投稿日 2008年06月21日 5:50:41
最終更新日 2008年06月21日 5:51:36
修正
2008年05月20日
巴里も新緑生い茂った季節。この時期になると公園や花壇には薔薇と並んでアイリスが咲き誇ります。
このアイリスを見ると、大概の日本人が 「いずれアヤメかカキツバタ」 と悩むところの 文目 杜若 花菖蒲 が話題に。


        いずれ文目か杜若 
             La plume d’oie© 鵞毛庵 2003
                  
こちらは「杜若」の作品に用いた頭文字の装飾部分の試作。完成品(現在鎌倉能舞台で展示していただいています。)は こちらで。      

ゴティックスタイルで装飾頭文字のバックになっている柄は業平菱模様。「杜若」を演じる際の装束からデザインしています。花はもちろん「かきつばた」で花びらに白い筋、地の色に陰と光を重ねて描いてゆく中世装飾画の技法を用いています。

ではアヤメはどうかというと、花びら中央に黄や白の網目模様が入っているというのが違い早分かりのポイント。

さてはて花菖蒲は?


いずれ文目か杜若 La plume d’oie© 鵞毛庵 2008

初節句のお祝いに描いた装飾文字モノグラムです。羊皮紙に頭文字のCはゴティック風にアカンサスの葉模様、端午の節句なので兜と花菖蒲をあしらいました。 (イグアナは...お祝い先のお宅の家族の一員)。

花菖蒲は青紫系や黄色などで、花びらに黄色い筋。でもここでは筋目に光が当たっているように描いてあるので、こうやって見るとどの花なのか。。。

そして、ここでまた本来は端午の節句には花菖蒲ではなくて菖蒲だというややこしいお話。

菖蒲はサトイモ科の植物で、「尚武」にあやかって発音が同じということから端午の節句に欠かせないものとなり、菖蒲湯にも浸ったりしますね。この菖蒲の葉に似た植物で綺麗な花が咲くものを花菖蒲と呼ぶようになり、両方が混同されてしまい今に至っています。

筋目が白いのもあれば黄色いのもあるし、光琳の燕子花図だって黄色い筋目もあったりして...やはりいずれが何とやら。

しかし、どれもみなアヤメ科アヤメ属の同じ花なのです。

従って西洋ではすべてアイリス(イリス)と呼ばれて、多くみかけるのはジャーマンアイリス種です。色も大きさもさまざまに品種改良されていて綺麗ですが、今風に言うならば、アヤメや杜若が醤油系だとすれば、こちらのアイリスはソース系とでも。


                      いずれ文目か杜若 パリの公園にて

このジャーマンアイリスの日本語名称はドイツアヤメ。アヤメというぐらいですから、花びらの模様は確かに網目です。
投稿日 2008年05月21日 4:48:17
最終更新日 2008年05月21日 4:50:07
修正
2008年04月20日
ちょっとお祝い事があり宝尽しのイニシャル。

                   宝尽し  La plume d’oie©鵞毛庵2008               
              
書体はLOMBARDE(ロンバルド)といって、13世紀以降のゴティック書体のテキストの頭文字などに使われています。
従来のゴティックの写本の装飾頭文字のスタイルを現代風さらに和風にアレンジしています。


宝尽し
従来のスタイルで書かれた作品 La plume d’oie©鵞毛庵 2000

イニシャルのHは亀甲、Mは七宝で埋めてアカンサスの葉をあしらい、和風のおめでたい鶴亀と宝尽しにしました。

宝尽しは、もともと中国で瑞祥を表した道具類を集めた文様が室町時代に日本に取り入れられたもので、当時の貴重な品、縁起の良い品物で埋めつくした文様です。


               宝尽し 宝尽しの袱紗


このイニシャルでは分銅、宝珠、宝鑰(ほうやく)、打出の小槌、金嚢(きんのう)、丁子(グローブ)、書物(謡本)を配しました。

今の時代では、え〜〜?どうしてこれが縁起よいの?と思うような品物ばかりですが、昔はさまざまな理由から珍重されていたものです。

「分銅」は秤のおもりですが、金や銀で分銅型に鋳造してお金の代わりに非常時に備えたことから蓄えのシンボル。

「宝珠」は密教の法具で、如意宝珠とも呼ばれ、金銀財宝望むものなら何でも出せるというもの。

「宝鑰(ほうやく)」とは鍵のことで、蔵の鍵をかたどったもので、蔵ということから財産を象徴。

「打出の小槌」は一寸法師のお話にもありますが、望みを何でもかなえてくれるもの。

「金嚢(きんのう)」はお金を入れる巾着。巾着には香料やお金、お守りなど大切なものを入れていました。

「丁子(グローブ)」は丁字とも書き、香辛料のグローブです。平安時代に日本に輸入され、その芳香と希少価値から珍重されたもの。香料のみでなく、染料、薬にも使われました。ここで用いたデザインは、丁子入れです。今ではスーパーでも普通に売っている香辛料ですが...

「書物」は巻子で表されることが多いですが、ここでは書物の形で謡本です。かつては巻物や書物は知識の宝庫とされ、現在では考えられないほどとても大切にされていました。

宝珠や打出の小槌はポケットに忍ばせたいかもなぁ。
投稿日 2008年04月20日 12:45:50
最終更新日 2008年04月20日 12:46:11
修正
2008年03月20日
                  桜色
                        La plume d’oie©鵞毛庵 2005 部分
                      大原御幸    遠山にかかる白雲は散りにし花の形見かや
                      Aux montagnes lointaines ces blancs nuages accrochés,
                      ne sont-ils pas un dernier souvenir des fleurs effeuillées ?
書体はフランスの最初の王で朝あるメロヴィング王朝の頃のもの(5世紀末〜8世紀半ば)。縦横、大小サイズも変えて重ね書きしています。
画像はクリックして拡大してご覧ください。


日本はいよいよ桜の季節!

日本人が桜を愛でるようになったのは平安期以降で、それまでは花といえば中国から伝わった梅を指していました。万葉集などに出てくる花の大半は梅。平安時代の古今和歌集になると、桜のほうがたくさん詠まれています。その頃の桜の主流は山桜なので、色は白。でも山を覆うとうっすらと桜色に。

フランスでなかなかお目にかかれないのがこの桜色。西洋でピンク系の色というと結構濃い目の派手な色合いが一般的で、白いけれどもほんのりと桜色、パステル系ともちょっと違った淡く薄いピンクなど、日本人の好みの色合いを探し出すのは困難です。
フランスで多く植えられている桜は、濃い色の八重桜だしなぁ。


桜色La plume d’oie©鵞毛庵2007 大原御幸
遠山にかかる白雲は散りにし花の形見かや
Ne sont-ils pas un dernier souvenir des fleurs effeuillées ?
幅の広いペンや面相筆を使用して自由書体で  こちらも画像をクリック!

今年ももうすぐパリの植物園の「白妙」も咲き始める頃か。白妙というくらいですから花の色は白なのですが、よく見ると花びらの一部がほんのり桜色です。ここでやっと桜色にめぐり会い。
                  桜色
            
投稿日 2008年03月20日 21:18:24
最終更新日 2008年03月20日 21:18:38
修正
2008年02月20日
 足袋、たび、旅で、まめたび煎餅を食べながら旅ィゆけェばぁ〜〜、てなわけないですが、能ではよく旅の僧が何かに出会って話が展開することがしばしば。今月取り上げる作品の「石橋」はまさに旅の僧の展開です。どうして「石橋」かというと、 先日、庵主が見た春節の獅子舞がいとめでたしというのが理由。

 能「石橋」は寂昭法師が入唐し各地を巡り、清涼山で文殊菩薩のお使いとされる獅子が、咲き乱れる牡丹の花の間に勇ましく舞う姿に出会うという、千秋万歳を寿ぐおめでたい曲目。
 

                 石橋
                   La plume d’oie©鵞毛庵 2007

 この石橋は苔むして滑りやすく、狭いし長いし、谷の深さは千丈もあってそう簡単に渡れるものではないと寂昭が樵から聞かされることから着想しての作品。そんな所は自分じゃ絶対渡れやしない!と思いながらカラス口を使っての自由書体です。カラス口は製図用の線引きの道具ですが、今はコンピューターの時代となり、殆どお蔵入りにちかいもの。製造中止したメーカーもあるそうですが、それをフランスはじめ、あちこちのカリグラファー達は文字を書く道具として多いに利用しています。

 パリの中華街界隈に住む庵主は、先日2月7日の春節では例年の如くたっぷりと中国の獅子舞を
満喫!


石橋 
パリ13区にある中華大手スーパーの陳氏兄弟公司にて

 画像をご覧になって随分カラフルだなぁと思うかもしれません。これは清朝の乾隆皇帝が夢に五色の色彩豊かな聖獣を見たのが始まりだとか。 
中国にしろ日本にしろ、実際に獅子、つまりライオンが生息していたわけではないので、それぞれ文献などからの想像した姿。ライオンといっても、ジャングル大帝レオのようなタテガミふっさふさのアフリカ系ではなく、お獅子の元祖はタテガミが地味なインドライオンです。それが日本の庶民的な獅子舞の獅子頭にもみられるけど、能の「石橋」や歌舞伎の毛振りが有名な「連獅子」や「鏡獅子」の獅子頭はタテガミたっぷりです。中国も北方系のお獅子はマルチーズの親玉のような体中フサフサ。このように種類はいろいろですが、昔の情報源としてはイランあたりからシルクロード経由だと想像されますので、やはり元祖はインドライオンなのでしょう。

  このインドライオンは18世紀頃までは西アジア(インドやイラン一帯)に広く生息していたそうですが、人口増加や狩猟の対象になったりして、20世紀始めには生息数が20頭ぐらいまで減ってしまったとか。現在は絶滅寸前ながらもインドの北西にあるギルの森の自然保護区域に絶滅危機保護種として2〜300頭ぐらい生息しているそうです。検索したら上野動物園などにもいることが判明。こちらを参考までに

もし実際にご覧になる機会があれば、ははぁ〜〜ん、こいつがお獅子の元祖か、と観察してみるのも楽しいかもしれません。

 余談ですが、中国の揚州名物には豚の肉団子「獅子頭(しずとう)」というのがあります。大きな肉団子です。ご利益丸かじりで霊獣の頭をがぶりッ。

 「石橋」といえば、もうひとつ。ラジオフランスから出しているOCORAという世界の民俗音楽のアルバムがあるのですが、その日本のシリーズの中に「石橋」があります。1983年、今は亡き観世元昭師のフランス公演の際にスタジオ録音されたものです。もう25年経つのですねぇ。なんか昨日のことのよう....。


   
石橋なのになんで翁なの?と、硬いこと言わずに。                                                    石橋
この他に、雅楽、声明、薩摩琵琶、長唄などなど数枚でています。
投稿日 2008年03月14日 8:45:55
最終更新日 2008年03月14日 8:46:11
修正
2008年01月20日
 ここ数年、能の花シリーズとは別に、歌会の御題にあわせて原文がフランス語のものをお書初めをしている庵主ですが、今年の「火」というのは題材としては事欠かないのだけれど、いざお書初めとなると内容が暗かったり縁起よくなかったり。さらにどうしても今まで作品にしている葵上や「道成寺」のような執念や怨念がメラメラ〜〜っというほうに気がいってしまいがち。

                     燃える魂とは...
                         道成寺 部分

 「火」から「炎」、「火焔」へいろいろと連想した庵主。能の装束にもしばしば見られる火焔文様、火焔太鼓、不動明王、ゴティック建築の後期のフランボワイヤン様式。フランボワイヤンとはまさに燃えているといった意味で、15世紀ごろになりますが、教会やお城などで見かけることができます。

燃える魂とは...これはパリ市内にあるサン・セヴラン教会。

まさに炎です。

 不動明王の背後には迦楼羅焔(かるらえん)。この迦楼羅とは人間の三毒を食べてしまうという火の鳥のこと。百八つあるといわれる煩悩は大きく三つに分けられ、それは貪ること、怒ること、愚かなことで、三毒と云います。実は西遊記にでてくる三人の従者はこの三毒を表しているとか何とか聞いたなぁ〜などと、横道にそれ、仏教の地獄の火車、生計が苦しい状態をいう火の車、そうそう、フランス語でも状況が悪いことを云うのに似た表現があり、だけど、中国語で火車は汽車や列車のこで、と また横道へ。

 あれやこれやで、やっとヴィクトル・ユーゴの小説「笑う男」の中の一節である 

Le corp est cendre, l’âme est flamme 「肉体は灰、魂は炎(ほむら)」

になりました。これを、たとえ肉体は滅んでも、情熱は生き続けるというように解釈してペンを取った作品がこちら。


                燃える魂とは...
 さて、この「笑う男」という小説、誰に話しても知らない人ばかりで、かく言う庵主もそうでした。そこで早速検索。和訳は大正年間になされて以降、少し改定されたものの新しいものは出ていないらしく、アメリカでは1928年に映画化されているのが判りました。
あらずじはこちらで

 この映画の複雑なあらすじを読むに、これはやはり...メラメラ〜〜のほうでしょうか。
投稿日 2008年01月20日 22:28:00
最終更新日 2008年01月20日 22:28:32
修正
2007年12月20日
よく頂戴する質問に、作品のデザインなどはどうやって決めるのですか?というのがあります。一番簡単で判りやすいのは、その曲目の内容や装束の色合いからなのですが、いつもいつもそうではありません。

先日の三余堂の記事にありましたが、あの藤田画伯も聞きながら絵を描いていたという広沢虎造の清水次郎長伝、何を隠そう、この鵞毛庵も聞いています!!

元はといえば、画家の友人が、一緒に唸りながら制作しているといって貸してくれたことが発端。想像の源は虎造にあり! さらには志ん生なんかの古い落語までも。

巴里の空の下、浪曲や江戸弁丸出しの古典落語を聴きながら、謡曲の詞章のフランス語訳をカリグラフィーで表現するという、こうやって文章にしみるとかなり異常行動のような、鵞毛庵ならさもありなんだと思われる方も多いことやら。ま、そんな調子で制作しているので、いきなり脳みそからぽわぁ〜〜んと変なものが浮かび出て然り、それをそのまま紙の上に置き換えるといった次第なのです。


その結果がこんなことになったり

想像の源

二人静 部分 La plume d'oie©鵞毛庵2007

                              想像の源

                            こんなことになったり。  善知鳥 部分La plume d'oie©鵞毛庵2007

いよいよ年の瀬も押し迫って参りました。クリスマスのイリュミネーションに輝くシャンゼリゼを歩きながら俳句をひねったり虎造や志ん生を聞くのも乙なもんでございますよ。

それでは皆様、どうぞ良いお年をお迎えくださいませ。



                     想像の源
       
投稿日 2007年12月21日 3:06:29
最終更新日 2007年12月21日 3:08:27
修正