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2007年07月12日
晒木綿
カテゴリ : [三余堂月次]
さらしもめん の下着は汗取りとして恰好の素材である。
晒しとは、綿や麻の布を日光や雨風に当て 繊維の持つ天然色素を抜いて 純白にしたものだ。
吸湿性、通気性に富んだ晒綿布は万能選手である。
先ず 手で 裂くことが出来る。 長さも幅も調節可能。
下締め、肌着から 紐、縄、布巾、三角巾、包帯等、等 …
常に一反 備えておけば 必ず役立つからと 三余堂夫人は 女学生時代の恩師に
叩き込まれたとのこと。
今年の分は只今 製作中!
この時期になると 一年分の 肌襦袢が仕上がってくる。
といっても 下着である。 畳紙 たとうに恭しく包まれて 呉服屋さんが運んで来る訳ではない。
単に、子供が夏休の間に まとめて肌襦袢を縫うことにしていた 三余堂夫人の習慣だ。
恩師の教えを守ってか 晒をまとめて購入、 一部を残して 襦袢になる寸法だ。
そもそも 三大天然素材のうちの一つの綿が 渡来した年代は不明で
万葉集などに見られる 綿は現在のワタ属の植物ではなさそうだ。
とにかく 日本の衣料作物としては麻が先で 気温が高く、日照時間が長い所に適する
綿の生育は 簡単ではなかったろう。
15世紀後半に朝鮮から綿布が輸入されるようになり、16世紀には 明からの輸入が加わり
上流階級では木綿の着用が流行したそうである。
さらに南蛮貿易によって東南アジア諸国からも 木綿は入ってきた。
国内でも 16世紀になると木綿の栽培が始まったらしい。
その耐久性や 染色などの加工のし易さに、戦国時代の武士たちは
幕や旗差物、袴などの衣料に用いる。
三河などで始まった木綿栽培は、近畿、関東でも栽培されるようになったとか。
江戸初期には農民の着物も麻から木綿へ、江戸も中期になると、
日本各地で 銘柄木綿が産出されるようにまでなる。
こうして 絹、麻、綿 がその特質を生かし 季節、身分、用途に合わせて 活躍するようになった。
今月九皐会で勤めた 殺生石の前ジテで使用した装束の唐織は
享保年間のもので 300年以上の時間を経て 今の舞台に生きている。
装束の下には 羽二重で作られた綿入れの胴着、その下に 晒木綿で縫われた 汗取りを着用。
胴着は着付けをよく見せる。然り乍ら その下は晒木綿が 汗や汚れから装束を保護する。
汗取りの仕事のために待機する 三余堂肌襦袢
享保の装束は、黒と紅も鮮やかな配色で使用には曲を選ぶ。黒紅という。
裄はたっぷりしているが、丈が短くシテの体格によっては
今後唐織としての着用はなかなかむずかしいことかもしれい。
古いものは その傷みの為でなく その時代の流行、体格の変化などが使用を妨げることもある。
しかし なにがあっても 晒木綿の肌襦袢は上に着るものを守っていく。
観世九皐会
晒しとは、綿や麻の布を日光や雨風に当て 繊維の持つ天然色素を抜いて 純白にしたものだ。
吸湿性、通気性に富んだ晒綿布は万能選手である。
先ず 手で 裂くことが出来る。 長さも幅も調節可能。
下締め、肌着から 紐、縄、布巾、三角巾、包帯等、等 …
常に一反 備えておけば 必ず役立つからと 三余堂夫人は 女学生時代の恩師に
叩き込まれたとのこと。
今年の分は只今 製作中!

この時期になると 一年分の 肌襦袢が仕上がってくる。
といっても 下着である。 畳紙 たとうに恭しく包まれて 呉服屋さんが運んで来る訳ではない。
単に、子供が夏休の間に まとめて肌襦袢を縫うことにしていた 三余堂夫人の習慣だ。
恩師の教えを守ってか 晒をまとめて購入、 一部を残して 襦袢になる寸法だ。
そもそも 三大天然素材のうちの一つの綿が 渡来した年代は不明で
万葉集などに見られる 綿は現在のワタ属の植物ではなさそうだ。
とにかく 日本の衣料作物としては麻が先で 気温が高く、日照時間が長い所に適する
綿の生育は 簡単ではなかったろう。
15世紀後半に朝鮮から綿布が輸入されるようになり、16世紀には 明からの輸入が加わり
上流階級では木綿の着用が流行したそうである。
さらに南蛮貿易によって東南アジア諸国からも 木綿は入ってきた。
国内でも 16世紀になると木綿の栽培が始まったらしい。
その耐久性や 染色などの加工のし易さに、戦国時代の武士たちは
幕や旗差物、袴などの衣料に用いる。
三河などで始まった木綿栽培は、近畿、関東でも栽培されるようになったとか。
江戸初期には農民の着物も麻から木綿へ、江戸も中期になると、
日本各地で 銘柄木綿が産出されるようにまでなる。
こうして 絹、麻、綿 がその特質を生かし 季節、身分、用途に合わせて 活躍するようになった。
今月九皐会で勤めた 殺生石の前ジテで使用した装束の唐織は
享保年間のもので 300年以上の時間を経て 今の舞台に生きている。
装束の下には 羽二重で作られた綿入れの胴着、その下に 晒木綿で縫われた 汗取りを着用。
胴着は着付けをよく見せる。然り乍ら その下は晒木綿が 汗や汚れから装束を保護する。
汗取りの仕事のために待機する 三余堂肌襦袢

享保の装束は、黒と紅も鮮やかな配色で使用には曲を選ぶ。黒紅という。
裄はたっぷりしているが、丈が短くシテの体格によっては
今後唐織としての着用はなかなかむずかしいことかもしれい。
古いものは その傷みの為でなく その時代の流行、体格の変化などが使用を妨げることもある。
しかし なにがあっても 晒木綿の肌襦袢は上に着るものを守っていく。
観世九皐会
投稿日 2007年07月12日 23:19:46
最終更新日 2007年07月12日 23:21:08
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