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2010年05月12日
藤原景清
カテゴリ : [三余堂月次]
日向の国へ 供をつれて相模の国から父を捜しに来た娘がいた。
父の名は悪七兵衛景清。 藤原景清である。
勇猛さを示す「悪」を冠に呼ばれるこの武将は平家の侍大将で、
源義仲との戦い、一ノ谷、屋島、壇ノ浦と転戦。
1195年頃、源頼朝に降伏の後、絶食し果てたといわれるが…
実在したとはいえ生年不詳で、没年も、定かではない。
生涯に謎の多い人物は各所に伝説が残されて、物語りの恰好の主人公なのだ。
何某誰々実ハ景清ということで、浄瑠璃、歌舞伎と景清物の作品も多い。
藤原上総介忠清の七男であるため、通称、上総七郎。
1180年に信濃守、兵衛尉となって悪七兵衛景清と呼ばれた。
平家物語の巻11、「弓流」で源氏方の美尾屋十郎の錣を 素手で引きちぎったという
「錣引き(しころひき)」、の話が特に有名だったようで、能の景清では盲目となった悪七兵衛景清が
錣引きを語り聞かせている。
壇ノ浦の後に匿ってくれた叔父の禅宗僧侶、大日房能忍を疑心暗鬼にかられて殺害した
という話もあるが、これも真偽のほどは判らない。
遷都1300年で話題の奈良の大仏様にも景清は関わる。
大仏様の東大寺は治承4年(1180)に平重衝が率いた軍勢に攻められて、伽藍の大半を焼失。
その後 東大寺再建の寄付を集める勧進が行われていた。
安宅の関で 武蔵坊弁慶が読み上げたのは そのための勧進帳。
勿論、真っ赤な白紙の偽物。 これも、能は安宅、歌舞伎ならば勧進帳で馴染のご仁も多かろう。
義経一行は 安宅の関を逃れていき、東大寺は再建なって、大仏の再建供養がおこなわれる。
建久6年(1195)、将軍の源頼朝が妻、北条政子を伴い参列。
そこに悪七兵衛景清、母への別れを終えて、宮人に変装。
頼朝命を狙って斬り込んだっ! お命頂戴!!
が、見やぶられ、若武者一人を切り伏せ、姿を消した… というのが 能 大仏供養。
とにもかくにも 悪七兵衛景清は話の種として人気があった。
あれも、これも 定かでないことが定かのようである。
千葉の木更津に景清陣屋なるものや、景清寺、景清社、景清道と新潟、愛知、広島等々に伝わる
ところがあり、山口の秋吉台には潜んでいたと伝えられる洞窟、景清洞もある。
能の景清は盲目となって日向の国に流され、乞食同然の身となっていたところへ
鎌倉から娘が父を探しにやってきた。
父と娘の情愛、合戦の武勇談、生きながら地獄の苦しみを送る有様を劇的に作っている。
着流し姿で座して、零落した景清を鬚のない面を使ってしっとりと見せる舞台や
過去の威風を 鬚のある面、武将の袴で床几に掛ける様で表した演出と、景清の見せ方も
いろいろある。 六月の能を知る会では 勇壮無骨な景清に出会えそうだ。
日向の国は今、口蹄疫問題で大変な宮崎のことである。
父の名は悪七兵衛景清。 藤原景清である。
勇猛さを示す「悪」を冠に呼ばれるこの武将は平家の侍大将で、
源義仲との戦い、一ノ谷、屋島、壇ノ浦と転戦。
1195年頃、源頼朝に降伏の後、絶食し果てたといわれるが…
実在したとはいえ生年不詳で、没年も、定かではない。
生涯に謎の多い人物は各所に伝説が残されて、物語りの恰好の主人公なのだ。
何某誰々実ハ景清ということで、浄瑠璃、歌舞伎と景清物の作品も多い。
藤原上総介忠清の七男であるため、通称、上総七郎。
1180年に信濃守、兵衛尉となって悪七兵衛景清と呼ばれた。
平家物語の巻11、「弓流」で源氏方の美尾屋十郎の錣を 素手で引きちぎったという
「錣引き(しころひき)」、の話が特に有名だったようで、能の景清では盲目となった悪七兵衛景清が
錣引きを語り聞かせている。
壇ノ浦の後に匿ってくれた叔父の禅宗僧侶、大日房能忍を疑心暗鬼にかられて殺害した
という話もあるが、これも真偽のほどは判らない。
遷都1300年で話題の奈良の大仏様にも景清は関わる。
大仏様の東大寺は治承4年(1180)に平重衝が率いた軍勢に攻められて、伽藍の大半を焼失。
その後 東大寺再建の寄付を集める勧進が行われていた。
安宅の関で 武蔵坊弁慶が読み上げたのは そのための勧進帳。
勿論、真っ赤な白紙の偽物。 これも、能は安宅、歌舞伎ならば勧進帳で馴染のご仁も多かろう。
義経一行は 安宅の関を逃れていき、東大寺は再建なって、大仏の再建供養がおこなわれる。
建久6年(1195)、将軍の源頼朝が妻、北条政子を伴い参列。
そこに悪七兵衛景清、母への別れを終えて、宮人に変装。
頼朝命を狙って斬り込んだっ! お命頂戴!!
が、見やぶられ、若武者一人を切り伏せ、姿を消した… というのが 能 大仏供養。
とにもかくにも 悪七兵衛景清は話の種として人気があった。
あれも、これも 定かでないことが定かのようである。
千葉の木更津に景清陣屋なるものや、景清寺、景清社、景清道と新潟、愛知、広島等々に伝わる
ところがあり、山口の秋吉台には潜んでいたと伝えられる洞窟、景清洞もある。
能の景清は盲目となって日向の国に流され、乞食同然の身となっていたところへ
鎌倉から娘が父を探しにやってきた。
父と娘の情愛、合戦の武勇談、生きながら地獄の苦しみを送る有様を劇的に作っている。
着流し姿で座して、零落した景清を鬚のない面を使ってしっとりと見せる舞台や
過去の威風を 鬚のある面、武将の袴で床几に掛ける様で表した演出と、景清の見せ方も
いろいろある。 六月の能を知る会では 勇壮無骨な景清に出会えそうだ。
日向の国は今、口蹄疫問題で大変な宮崎のことである。
投稿日 2010年05月12日 0:40:22
最終更新日 2010年05月12日 0:40:22
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