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2010年04月12日
情け有馬の…
カテゴリ : [三余堂月次]
落語の落ちに地口落ちというのがある。
「三方一両損」という大岡政談の話で 「多かあ(大岡)食わねえ、たったいちぜん(越前)」 と…
ことわざや俗語などをもじって作った語呂合わせの文句を地口(じぐち)という。
舌切雀が着たきり雀、と云うような言葉遊びの洒落のことだ。
江戸の享保年間にえらく流行ったそうで、行灯に地口の文句と戯画を描きご祭礼のときに
軒先や参道にかけ並べたというから たいしたものである。
「恐れ入谷の鬼子母神」「びっくり下谷の広徳寺」「なんだ神田の大明神」「情け有馬の水天宮」と
耳慣れて、口からも飛び出すこの言葉がいわゆる 地口という代物である。
「恐れ入谷の鬼子母神」は下谷の真源寺で、鬼子母神を祀っていることで、入谷鬼子母神。
朝顔市が開かれることでも有名だ。
「びっくり下谷の広徳寺」は今の台東区役所近くにあった寺が 関東大震災で転出。
「なんだ神田の大明神」は銭形平次の神田明神、
「情けありまの… 」は日本橋蛎殻町の水天宮。
この 水天宮さんが日本橋蛎殻町に来たのは明治になってからで、
江戸時代は芝赤羽橋の久留米藩、有馬家上屋敷の敷地内にあったという。
この有馬藩上屋敷内の水天宮は、文政の年(1818年)、九代目藩主がお国許の総本山水天宮
から分祀したというのだ。
本来は有馬家の屋敷神で町民はお参りできない。
が、たいそうな御利益と江戸中に評判になり、塀の外からお賽銭が投げ込まれるほどの人気。
有馬家では毎月5の日のお縁日に一般参詣を許すことにしたそうである。
その日はお参りの人と縁日の露店とで、赤羽根橋周辺はごったがえしたという。
町人がお参りできないところを温情をもってお許し下された、というので、情け有馬の…となる。
ここは、天地創発の時にあらわれた天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、
平家滅亡の折、神爾と宝剣を身につけた祖母二位尼に抱かれて 壇ノ浦に入水した安徳天皇と、
その母になる、清盛の娘の建礼門院、そして二位の尼を祀る。
水と子供の守護で知られる水天宮は、神仏習合時代に
「天之水分神・国之水分神」(あめのみくまりのかみ・くにのみくまりのかみ)と習合していたという。
「水」の字つながりで、水にゆかりの深い神様は水難よけの神社として信仰されていた。 また、
水分神のみくまりのかみの発音が、《みこもり、御子守り》に通じるとして、子の守り神として信仰。
犬のお産が軽いことにちなんで、戌の日は安産祈願の人で賑わう。
子授かりの願掛け、お礼参りなどと人並みが途絶えることがないのは 江戸も今も同じである。
桜に埋もれた都会の神社
参詣のカップル
その有馬家の屋敷内にあった水天宮は、明治4年(1871年)に有馬家の移転にともない
赤坂へ移り、翌年、現在地へ又、移転。今に至る。
東京都中央区、水天宮通りと新大橋通りの交点。
満開の桜の向こうに朱塗りの社殿は遠くからでも 情けありまの水天宮 とわかる。
情けありまの水天宮 提灯に灯が入る
「三方一両損」という大岡政談の話で 「多かあ(大岡)食わねえ、たったいちぜん(越前)」 と…
ことわざや俗語などをもじって作った語呂合わせの文句を地口(じぐち)という。
舌切雀が着たきり雀、と云うような言葉遊びの洒落のことだ。
江戸の享保年間にえらく流行ったそうで、行灯に地口の文句と戯画を描きご祭礼のときに
軒先や参道にかけ並べたというから たいしたものである。
「恐れ入谷の鬼子母神」「びっくり下谷の広徳寺」「なんだ神田の大明神」「情け有馬の水天宮」と
耳慣れて、口からも飛び出すこの言葉がいわゆる 地口という代物である。
「恐れ入谷の鬼子母神」は下谷の真源寺で、鬼子母神を祀っていることで、入谷鬼子母神。
朝顔市が開かれることでも有名だ。
「びっくり下谷の広徳寺」は今の台東区役所近くにあった寺が 関東大震災で転出。
「なんだ神田の大明神」は銭形平次の神田明神、
「情けありまの… 」は日本橋蛎殻町の水天宮。
この 水天宮さんが日本橋蛎殻町に来たのは明治になってからで、
江戸時代は芝赤羽橋の久留米藩、有馬家上屋敷の敷地内にあったという。
この有馬藩上屋敷内の水天宮は、文政の年(1818年)、九代目藩主がお国許の総本山水天宮
から分祀したというのだ。
本来は有馬家の屋敷神で町民はお参りできない。
が、たいそうな御利益と江戸中に評判になり、塀の外からお賽銭が投げ込まれるほどの人気。
有馬家では毎月5の日のお縁日に一般参詣を許すことにしたそうである。
その日はお参りの人と縁日の露店とで、赤羽根橋周辺はごったがえしたという。
町人がお参りできないところを温情をもってお許し下された、というので、情け有馬の…となる。
ここは、天地創発の時にあらわれた天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、
平家滅亡の折、神爾と宝剣を身につけた祖母二位尼に抱かれて 壇ノ浦に入水した安徳天皇と、
その母になる、清盛の娘の建礼門院、そして二位の尼を祀る。
水と子供の守護で知られる水天宮は、神仏習合時代に
「天之水分神・国之水分神」(あめのみくまりのかみ・くにのみくまりのかみ)と習合していたという。
「水」の字つながりで、水にゆかりの深い神様は水難よけの神社として信仰されていた。 また、
水分神のみくまりのかみの発音が、《みこもり、御子守り》に通じるとして、子の守り神として信仰。
犬のお産が軽いことにちなんで、戌の日は安産祈願の人で賑わう。
子授かりの願掛け、お礼参りなどと人並みが途絶えることがないのは 江戸も今も同じである。
桜に埋もれた都会の神社
参詣のカップルその有馬家の屋敷内にあった水天宮は、明治4年(1871年)に有馬家の移転にともない
赤坂へ移り、翌年、現在地へ又、移転。今に至る。
東京都中央区、水天宮通りと新大橋通りの交点。
満開の桜の向こうに朱塗りの社殿は遠くからでも 情けありまの水天宮 とわかる。
情けありまの水天宮 提灯に灯が入る

投稿日 2010年04月12日 0:33:28
最終更新日 2010年04月12日 0:33:28
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