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<title>能楽さんぽ</title>
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<modified>2012-05-19T15:02:03Z</modified>
<tagline>能をより親しんで頂くため、「さんぽ」をご一緒に。</tagline>
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<copyright>Copyright (c) 2012 , nogakusanpo</copyright>
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<title>蔵書票　第二段</title>
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<modified>2012-05-19T15:02:03Z</modified>
<issued>2012-05-20T00:02:03+09:00</issued>
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<created>2012-05-19T15:02:03Z</created>
<summary type="text/plain">今月25日(金)から蔵書票展第二段です。題して「書票をほどく展」!!$photo1!!出展者：大野加奈　岡部いさく　五木田摩耶　高橋好美　野口恵子2012年5月25日（金）〜6月2日(土)アートプレイスＫ　11:00〜18:00　土日13:00〜19:00水･木休廊　　最終日18:00まで出展者による蔵</summary>
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<name>nogakusanpo</name>
<email>s-gokita@jcom.home.ne.jp</email> 
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<dc:subject>鵞毛庵能の花シリーズ</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://nogakusanpo.maya-g.com/index.php">
<![CDATA[ 
<font style="font-size:14px;">今月25日(金)から蔵書票展第二段です。<br />
<br />
題して</font><br />
<br />
<font style="color:#336633; font-size:16px;">「書票をほどく展」</font><br />
<br />
<br />
<a href="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/274-1.jpg" target="_blank"><img src="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/274-1.jpg" border="0" alt="蔵書票　第二段"  width = "360" /></a><br />
<br />
<font style="font-size:14px;">出展者：大野加奈　岡部いさく　五木田摩耶　高橋好美　野口恵子<br />
2012年5月25日（金）〜6月2日(土)<br />
<a href="http://artplacek.sakura.ne.jp/exhibitions.html" target="_blank">アートプレイスＫ　</a><br />
11:00〜18:00　土日13:00〜19:00<br />
水･木休廊　　最終日18:00まで<br />
<br />
出展者による蔵書票のほか、版画やカリグラフィーなどの作品や書票協会収蔵の蔵書票も展示されます。<br />
<a href="http://pws.prserv.net/jpinet.Exlibris/jpinet.exlibys/topics_e06.htm" target="_blank">日本書票協会</a>のサイトには蔵書票の歴史やら技法やら詳しく載っています。<br />
<br />
<br />
<a href="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/274-2.gif" target="_blank"><img src="http://nogakusanpo.maya-g.com/sam/274-2.jpg" alt="photo2" width="120" height="94" border="0" class="left" /></a>
<br />
<br />
<br />
世界で現存するものでは最古の蔵書票といわれているヨハネス・クナベンスベルグの蔵書票です。俗称「ハリネズミの蔵書票」といい、「もしもこの書物を返さなければ、ハリネズミがあなたにキスをする」という意味の文が書かれています。15世紀半ばの版画。<br />
<br />
<br />
本はきちんと返せ！ということなのでしょうが、20世紀前半のフランスのを代表するノーベル賞作家のアナトール･フランスの言葉に次のようなものがあります。<br />
「人には本を貸すな。借りた本は決して返さないものだ。」<br />
と、ここまでは、ま、実際に貸した本がそのままだとか、借りたままだとかの経験にうなずいている方も多いかと。アナトール･フランスはさらに次のように続けています。<br />
「私の本棚の唯一所持している書籍は、すべて借りたものである。」<br />
アナトールの父はパリのルーヴル美術館近くの書店経営者だったと思いますけど．．．<br />
<br />
鵞毛庵は3月に引き続き、ラ・フォンテーヌの寓話シリーズなど蔵書票EXLIBRISの原画と、新旧取り混ぜてカリグラフィーの作品を出展、また、蔵書票をお買いあげ頂いた方には、カリグラフィーでイニシャルやお名前をお入れします。</font><br />
<br />
<br />
<a href="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/274-3.jpg" target="_blank"><img src="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/274-3.jpg" border="0" alt="蔵書票　第二段"  width = "360" /></a><br />
<br />
<br />
Liber mihi opus est　私には本が必要である。<br />
EXLIBRIS　　(c)La plume d’oie　2012<br />
<br />
<font style="font-size:14px;">いつまでも手元に置いておきたい本の見返しに貼ってみませんか？そういう本は特に誰にも貸さないように．．．</font><br />

]]>
</content>
</entry>
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<title>杜若</title>
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<modified>2012-05-12T12:17:31Z</modified>
<issued>2012-05-12T01:32:38+09:00</issued>
<id>tag:nogakusanpo.maya-g.com/displog/273.html</id>
<created>2012-05-11T16:32:38Z</created>
<summary type="text/plain">三河の国に着いた旅のお坊様が、沢辺の杜若を愛でておられました。すると、ここは杜若の名所、八橋だと教える女がいたんでございますよ。　在原業平さんが　かきつばた　の五文字を句の上に置いて、　　「からころも（唐衣）き（着）つつ馴れにしつま（妻）しあればはるば</summary>
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<email>s-gokita@jcom.home.ne.jp</email> 
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<dc:subject>三余堂月次</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://nogakusanpo.maya-g.com/index.php">
<![CDATA[ 
<font style="color:#990099; font-size:14px;">三河の国に着いた旅のお坊様が、沢辺の杜若を愛でておられました。すると、ここは杜若の名所、<br />
八橋だと教える女がいたんでございますよ。　在原業平さんが　かきつばた　の五文字を句の上に<br />
置いて、<br />
　　「からころも（唐衣）き（着）つつ馴れにしつま（妻）しあればはるばる（遥々）きぬるたび（旅）　　　　　<br />
　　　　　　　　　　　　　をしぞ思ふ」　　と旅の心を詠んだお話、ご存じでしょうか。<br />
女はそんな歌の話をした挙句、侘び住まいでございますが、一夜の宿をお貸ししましょうなんて、　　　<br />
お坊様を自分の庵に案内するのです。やがて、唐衣に冠を戴いた姿で女が現れて、杜若の精だと云い<br />
出すのでございますよ。　歌を詠んだ業平さんの冠、和歌に詠まれた高子の后の唐衣をまとって、<br />
『伊勢物語』の東下りの話を、業平さんの華麗な恋と仏さまの功徳なんぞを謡い舞ったんでございます。<br />
杜若の美しい季節、雅な詞章や音楽、華やかな装束、しっとりした舞。<br />
花の精とお坊様とだけが向かい合う舞台で、悟りの境地をお坊様のお力で得たと、杜若の精は夜明け<br />
と共に姿を消したそうでございます。　と、これがお能の杜若。<br />
<br />
このカキツバタ、湿ったところがお好のみで、風薫る五月あたりから紫の花を咲かせ始めて。<br />
水辺にひっそりと一輪…　なんてことはなく、群をなすんですよ。そりゃぁ、みごとでございます。　　　　<br />
内側の花びらが細くまっすぐに立っていて、その周りに外側に垂れ下がった花びらのある大きなお花<br />
でございます。まぁ、みなさんその見事さに魅せられて改良に改良を重ねて江戸の徳川様の時代には<br />
沢山の品種が出来上がったそうでございますよ。<br />
「いずれがアヤメかカキツバタ」なんて申しますが、アヤメ(菖蒲)は外側の花びらに網目模様で<br />
乾いた土で育つとか。白い花もございますし、花びらに黄色い筋があったりもするそうで。<br />
カキツバタ(杜若)は外側の花びらに網目模様でなく白い斑紋、色も惹きこまれるような紫やら純白やら。<br />
ついでに、ハナショウブ(花菖蒲)。これは外側の花弁に黄色の斑紋があるんでございますよ。<br />
それはそれは、華やかな色がさまざまで、絞りもある。カキツバタと一緒で、水辺なんぞの湿地に<br />
育って。　どれも素晴らしく優劣はもとより、見分けも就き難しってところでございましょうねぇ。<br />
但、キショウブという、明治の御代におよその国から来た黄色いお花のショウブがございまして、<br />
要注意外来生物ってのになっているとか。　　綺麗なお花ですけれど…<br />
そうそう、カキツバタは三河の国　愛知の県花だそうでございます。<br />
 <br />
                                                          <font style="font-size:11px;">    さてはてどれがどれやら？</font> <a href="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/273-1.jpg" target="_blank"><img src="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/273-1.jpg" border="0" alt="杜若"  width = "360" /></a><br />
<br />
               　　<br />
<br />
カキツバタと云えば尾形光琳さんのお作に「燕子花図屏風」っていう見事な屏風がございます。<br />
そのお話は<a href="http://www.nezu-muse.or.jp/jp/exhibition/past2011_n03.html" target="_blank">昨年の根津美術館の催し</a>にお任せして。<br />
今も<a href="http://www.nezu-muse.or.jp/jp/exhibition/index.html" target="_blank">国宝「燕子花図」とメトロポリタン美術館所蔵「八橋図」</a>がご覧になれますが、<br />
　　　　　　　　　　　　　　　あそこのお庭のカキツバタもなかなかよろしゅうございますので…<br />
                                                <br />
      <font style="font-size:11px;">能「杜若」　花前に蝶舞ふ<a href="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/273-2.jpg" target="_blank"><img src="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/273-2.jpg" border="0" alt="杜若"  height = "240" /></a>　（ｃ）2007La plume d'oie</font><br />
<a href="http://www.kanze.com/index.html" target="_blank">観世九皐会五月定例会　杜若</a><br />
</font><br />
<br />
<br />
<br />

]]>
</content>
</entry>
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<title>書体の変遷</title>
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://nogakusanpo.maya-g.com/displog/272.html" />
<modified>2012-05-11T04:24:46Z</modified>
<issued>2012-05-01T00:06:05+09:00</issued>
<id>tag:nogakusanpo.maya-g.com/displog/272.html</id>
<created>2012-04-30T15:06:05Z</created>
<summary type="text/plain">洋の東西の写本の話が続いた。そもそも、字が読めなくては写本もへったくれもないのだが、読むとは…文字になった言葉を正しく発音して、理解出来る事を云う。だから、いくら大声で読めても文字を正しく記さなくちゃぁ駄目である。読んで、書いて、意味が判ることを識字と</summary>
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<name>nogakusanpo</name>
<email>s-gokita@jcom.home.ne.jp</email> 
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<dc:subject>案内望遠鏡</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://nogakusanpo.maya-g.com/index.php">
<![CDATA[ 
<font style="color:#660000; font-size:14px;">洋の東西の写本の話が続いた。<br />
そもそも、字が読めなくては写本もへったくれもないのだが、読むとは…<br />
文字になった言葉を正しく発音して、理解出来る事を云う。<br />
だから、いくら大声で読めても文字を正しく記さなくちゃぁ駄目である。<br />
<br />
読んで、書いて、意味が判ることを識字という。　<br />
この識字能力は、現代社会では最も基本的な教養だが、全世界の識字率は、およそ75%だそうな。<br />
識字率というのは一般に15歳以上の人口に対して定義されるそうである。<br />
江戸時代の日本は、庶民の就学率、識字率はともに世界一だったというからすごい。<br />
1850年頃、嘉永年間の江戸の就学率は、70〜80%もあり、いわゆる寺子屋で読書き算盤を学んだ。<br />
これは、武家や豪商の子弟ばかりでなく、裏長屋の子たちも学んだということで、安定した社会に<br />
育った文化の力であり、文字を介して物を識り、伝達することの意義を理解していればこその<br />
親の涙ぐましい教育熱の賜物だ。<br />
　<br />
伝達手段の文字。いくら識字の力があっても、読める体裁になって初めて役に立つってもんで、<br />
正しく、美しく書くことを求められる。<br />
求められた文字は多くの人が読みやすく、書きやすい形を生む。そしてその形が指標となって<br />
定着していくことになる。文字が何に書かれるか、どんな道具で書くか、目的は何かによって<br />
威厳も、風格も生まれるし、装飾的にもなっていく。<br />
一方、実用的な文字は速く書くことも要求される。<br />
時間をかけて石に刻したり、大きく板に書いたりする文字でなく、手書きで速く書き留めなければ<br />
ならない役人や商人の事務用の文字。<br />
速さを求めれば、字の形は崩れ、省略が生まれ、省略化されれば新しい形へと変化していく。<br />
<br />
遣唐使が大陸に渡って文化を掴み取ろうしていた頃、唐は<a href="http://nogakusanpo.maya-g.com/displog/229.html" target="_blank">楷書</a>の時代だった。<br />
その頃文字は結構乱れていたそうな。それだけ　実用化していたということでもある。<br />
近年の我国だって、丸文字がどうの、こうのと云っている間に、若者の書体の変化はどんどん進む。　<br />
どの字が正しいのか、訳が判らない状態は多分、古今東西同じだろう。<br />
唐の太宗皇帝は、氾濫する文字の正誤を　顔師古(581年 - 645年)と云う学者に命じて整えさせた。　<br />
唐代初期の欧陽詢、虞世南といった人の書は、すっきりと簡潔な字体で読み易い文字である。<br />
その文字の正しさ、根拠を追求していくと　はてさて、切りなくどんどんと時代を遡り象形文字の<br />
ように魚のヒレまで書くことになっては…<br />
まっ、少々、複雑な形が復活しながらも　そこそこに整理整頓。<br />
10世紀以降、宋の時代になると、木版印刷が生まれる。当時の印刷文字が誕生。<br />
それは木を彫るとはいえ、見栄えのよい木版文字を求めて、却って画数が増えたという。<br />
この印刷の文字が<a href="http://nogakusanpo.maya-g.com/displog/231.html" target="_blank">字典</a>に使われて、字典体と云われるようになった。<br />
18世紀になって清の康熙帝が作らせた康煕字典の書体のことである。<br />
漢代以降の歴代の字書の集大成として編纂したという大事業。<br />
全42巻に収録文字数49,030の字典は、部首別漢字辞典の規範となっている。<br />
現代はコンピュータの標準漢字コードの配列順にも使われているという。<br />
よく分からんがあの、ユニコードってやつである。<br />
<br />
書体も常に、往き過ぎれば戻り、また先へ進みと状況に応じて動き続ける。そんな流れができている。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
</font><br />

]]>
</content>
</entry>
<entry>
<title>聖書の写本と書体の改革</title>
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://nogakusanpo.maya-g.com/displog/271.html" />
<modified>2012-04-20T12:45:01Z</modified>
<issued>2012-04-20T21:21:10+09:00</issued>
<id>tag:nogakusanpo.maya-g.com/displog/271.html</id>
<created>2012-04-20T12:21:10Z</created>
<summary type="text/plain">　　　三余堂が唐代の書法やら古事記の写本やらの記事を書いていますが、時を同じくしてヨーロッパでは．．．。　　　世界史が得意だった！という方には懐かしい響きやもしれません。そう、フランク王国の最初の王朝メロヴィングからカール大帝（フランスではシャルルマー</summary>
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<email>s-gokita@jcom.home.ne.jp</email> 
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<dc:subject>鵞毛庵能の花シリーズ</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://nogakusanpo.maya-g.com/index.php">
<![CDATA[ 
<font style="font-size:14px;">　　　三余堂が唐代の書法やら古事記の写本やらの記事を書いていますが、時を同じくしてヨーロッパでは．．．。<br />
<br />
　　　世界史が得意だった！という方には懐かしい響きやもしれません。そう、フランク王国の最初の王朝メロヴィングからカール大帝（フランスではシャルルマーニュといいます）のカロリング朝の頃。<br />
<br />
　　　この西ヨーロッパの大部分を支配していたカール大帝（在位768-814）、カロリング朝ルネサンスという運動の中心人物でもあります。キリスト教に基づいて国を統治する目的で聖職者の質を高めるようにしたり、文化面では古典研究に力を注ぎ、だんだんと俗語化する傾向にあったラテン語を見直してラテン語教育にも力を注いだそうな。となると、聖書が重要になります。お勉強のためにあちこちの修道院から写本を取り寄せると、あらら、誤字脱字すっとばしのみならず、みんな書体がバラバラで読みづらいのなんの。<br />
<br />
そこで困ったカール大帝は書体改革を思いついたのでした。<br />
<br />
　　　　ここで時を少し遡って5世紀。聖パトリックという人が、アイルランドにキリスト教を広めました。アイルランドからイングランドなどあちこちに修道院が建てられ、同時に導入されたラテン語の聖書の写本がすごく盛んになりました。先人のもたらした経典をこつこつ写すのは、洋の東西を問いません。<br />
<br />
　　　　特に7〜8世紀にかけて、ケルト文字やケルト風の幾何学や組紐模様、動物や奇獣をあしらった写本が数多く手がけられ、そのうちの数冊が現存しています。どういうわけかキリスト教を比較的すんなりと受け入れたアイルランド人は古来のケルト文化や民間信仰などうまく取り入れてキリスト教の聖書を書き上げていてます。日本ではちょうど遣唐使だ、古事記の編纂だ、東大寺の大仏開眼だのという時代のこと。</font><br />
<br />
<br />
<a href="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/271-1.jpg" target="_blank"><img src="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/271-1.jpg" border="0" alt="聖書の写本と書体の改革"  height = "240" /></a><br />
<br />
ケルスの書　　8世紀末　アイルランド　典礼用の四つの福音書が収められいる写本　　　本の宝石とも呼ばれている<br />
最澄や空海が遣唐使として派遣された頃にはこのケルスの書が完成していました。<br />
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　こんな風に誤字を修正も<br />
<br />
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　<a href="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/271-2.jpg" target="_blank"><img src="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/271-2.jpg" border="0" alt="聖書の写本と書体の改革"  width = "360" /></a><br />
<br />
　　　　<br />
<font style="font-size:14px;">　　　　やがて、このアイルランドなど北の方の修道院から優秀な学僧が多く輩出されて、今度は逆にヨーロッパ大陸の各地へ伝道に出向くということになったのです。<br />
<br />
　　　　そこで、カール大帝の時代に戻ると、大帝は早速イングランドのヨークからはアルクインという高僧を呼びつけ、他所からも優秀な学僧を何人か集めて教会制度や教育制度の指南役および書体を統一するための研究組織を設けたのでした。<br />
<br />
　　　書き手や修道院によって様々だった書体を目にしながら頭をひねったお坊さん達が考案したのはもっとシンプルで規則正しい「カロリンヌ」という書体でした。<br />
　　　そして「カロリンヌ体」は12世紀にゴシック文字へと移行するまで長きに渡ってヨーロッパで愛用されたのですから、書体改革は大成功とあいなり、ローマ字のアルファベットの基本の基になったのです。　イタリアルネサンス期に作られた活版文字も、この書体を基に考案されていて、それが現在まで息づいています。例えば　a　b　c　d　e　f　g　←こんな活字はカロリンヌ体が基礎なのです。</font><br />
<br />
<br />
<a href="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/271-3.jpg" target="_blank"><img src="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/271-3.jpg" border="0" alt="聖書の写本と書体の改革"  width = "360" /></a><br />
<br />
こちらは世界遺産のフランスのモンサンミッシェルの写本。ここはかつては修道院で、そこで書かれたモンサンミッシェルの写本はカロリンヌ体で書かれています。11世紀<br />
<br />
<br />

]]>
</content>
</entry>
<entry>
<title>聖書の写本</title>
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://nogakusanpo.maya-g.com/displog/270.html" />
<modified>2012-04-20T01:59:53Z</modified>
<issued>2012-04-20T10:59:53+09:00</issued>
<id>tag:nogakusanpo.maya-g.com/displog/270.html</id>
<created>2012-04-20T01:59:53Z</created>
<summary type="text/plain">ただいま準備中。しばらくお待ちください！　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　!!$photo1!!　　　　　　　　　　　　　　　　　　　ケルスの書　　アイルランド写本　8世紀末</summary>
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<name>nogakusanpo</name>
<email>s-gokita@jcom.home.ne.jp</email> 
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<dc:subject>鵞毛庵能の花シリーズ</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://nogakusanpo.maya-g.com/index.php">
<![CDATA[ 
<font style="color:#0000FF; font-size:18px;">ただいま準備中。しばらくお待ちください！</font><br />
<br />
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　<a href="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/270-1.jpg" target="_blank"><img src="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/270-1.jpg" border="0" alt="聖書の写本"  height = "240" /></a><br />
<br />
<br />
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　ケルスの書　　アイルランド写本　8世紀末<br />

]]>
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<title>古事記の写本</title>
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://nogakusanpo.maya-g.com/displog/269.html" />
<modified>2012-04-20T12:24:34Z</modified>
<issued>2012-04-12T00:22:52+09:00</issued>
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<created>2012-04-11T15:22:52Z</created>
<summary type="text/plain">遣唐使の持ち帰った物に　王羲之の搨模本があったと案内望遠鏡で書いた。その頃は当然、複写機があるわけでなく、書き写すことによって文化を受け継いでいく。人の手で　次から次へと書き写すのだから、当然、誤字、脱字、加筆もあれば、省略もある。行を飛ばしたまま気づ</summary>
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<name>nogakusanpo</name>
<email>s-gokita@jcom.home.ne.jp</email> 
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<dc:subject>三余堂月次</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://nogakusanpo.maya-g.com/index.php">
<![CDATA[ 
<font style="font-size:14px;">遣唐使の持ち帰った物に　王羲之の搨模本があったと案内望遠鏡で書いた。<br />
その頃は当然、複写機があるわけでなく、書き写すことによって文化を受け継いでいく。<br />
人の手で　次から次へと書き写すのだから、当然、誤字、脱字、加筆もあれば、省略もある。<br />
行を飛ばしたまま気づかないことだって、あったかもしれないし…<br />
原型を如何に正確に伝えるかが勝負だ。<br />
<br />
律令国家完成に遣唐使が頑張っていたころ、日本の歴史書も纏められる。古事記の成立だ。<br />
その序によれば和銅5年712年に太朝臣安萬侶（おほのあそみやすまろ）、早い話が耳慣れた<br />
太安万侶（おおのやすまろ）によって献上された日本最古の歴史書。<br />
上・中・下の全3巻で、後世の写本で作成年代が確認されているということだ。<br />
現存する『古事記』の写本は、大きく、「伊勢本系統」と「卜部本系統」に分かれるそうで<br />
最古のものは、「伊勢本系統」の1371年から翌1372年にかけて真福寺の僧　賢瑜によって<br />
書写された真福寺本古事記三帖なのだそうな。<br />
南北朝の頃の写本になるが、原型の面影を伝えていると、評価されて国宝に指定されている。<br />
<br />
どこがどう、原型の面影やら、それはさて置いて、この真福寺、名古屋は中区大須にある。<br />
寺宝に鬼の面が伝わるので、「福は内、福は内！」と　鬼を締め出すことを遠慮して　「鬼は外」<br />
と云わない節分会で賑わう。　名古屋では有名な通称、大須観音のこと。<br />
そこの文庫、真福寺文庫が全国屈指の古典籍の宝庫なのだそうだ。<br />
この寺は　鎌倉時代末期の創建で、江戸時代初め現地に移転するまでは　現在の岐阜羽島<br />
大須にあった為、木曽川と長良川の合流地点。　洪水に幾度となく襲われた。<br />
木曽川の東にあった寺も洪水で川の西側になったり、蔵書は常に水浸し、流出の危険と<br />
戦っていたということである。<br />
そんな折、徳川家康は蔵書保全を考えて、名古屋城下へ移転を命じたといことだ。<br />
さすが、能の伝書だって抱えた蔵書家の家康。<br />
真福寺文庫には　一万点を超える蔵書が、百二十もの木箱に納められて現存しているという。<br />
その中に古事記の写本があるという訳だ。<br />
<br />
<font style="font-size:11px;">古事記　真福寺本　　<a href="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/269-1.jpg" target="_blank"><img src="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/269-1.jpg" border="0" alt="古事記の写本"  width = "360" /></a>　芸術新潮　2000-4 新潮社</font><br />
<br />
古事記の研究者といえば、国学者、本居宣長先生ということになる。<br />
一生をその研究に捧げた先生、1787年、その写本を見たというが、書写の年代は不明のまま。<br />
1797年、本居宣長の門弟で、尾張藩士　稲葉通邦が藩主の命で、古事校訂本作成中に<br />
粘葉装(でっちょうそう)の紙の合わせ目の内側に「賢瑜」という文字を発見！<br />
これで　書写年代が確定できるや、いなや。<br />
<br />
真福寺蔵書は初代、二代住職によって形成されたという。<br />
ことに二代住職信瑜は東大寺東南院の門跡聖珍の弟子で、その関連の書籍も多く、<br />
現在の国宝になる物も伝わっている。<br />
国宝の古事記は　そんな信瑜の命で、真福寺の賢瑜が書写し、信瑜へ上程したのでは…　と。<br />
その経緯を詳らかにした、尾張藩士　稲葉通邦の発見は今一つ評価されることもなく、<br />
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　むにゃむにゃ…　と。<br />
<br />
真福寺本は明治30年の古社寺保存法で国宝に指定されということである。<br />
今年は古事記1300年となにかと古事記が話題になるが、どれだけの人が正面から<br />
読み込んでいるだろうか。<br />
てんてるだいじんと読まないためにも、せめて自分の子供の為に書いたという　鈴木三重吉の<br />
《<a href="http://www.aozora.gr.jp/cards/000107/files/1530_5502.html" target="_blank">古事記物語</a>》ぐらいは　読みたいものだ。<br />
それが　面倒なら、手っ取り早く、古事記1300年記念の　<a href="http://www.shimane-shinwa.jp/" target="_blank">神々の国しまね</a>　でも…<br />
</font><br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />

]]>
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<title>唐代書法</title>
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<modified>2012-04-01T01:08:47Z</modified>
<issued>2012-04-01T00:37:18+09:00</issued>
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<summary type="text/plain">唐の詩人李白が生まれた701年、我国では大宝律令が完成した。630年に第一回遣唐使が派遣されて以来、大陸文化の摂取を意欲的に進めて律令文化というものを根付かせて行ったのである。船舶技術の進歩が進むと黄海から江蘇へ一気に行かれるようになる。そして、隋の煬帝によ</summary>
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<dc:subject>案内望遠鏡</dc:subject>
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<![CDATA[ 
<font style="color:#660000; font-size:14px;">唐の詩人李白が生まれた701年、我国では大宝律令が完成した。<br />
630年に第一回遣唐使が派遣されて以来、大陸文化の摂取を意欲的に進めて<br />
律令文化というものを根付かせて行ったのである。<br />
船舶技術の進歩が進むと黄海から江蘇へ一気に行かれるようになる。<br />
そして、隋の煬帝によって完成された大運河で洛陽へ。長安までは陸路。という南路になる。<br />
が、そうそう簡単には運ばない。二隻から四隻の船団で、どれかが無事に到着すれば…<br />
<br />
そんな折、都では本格的な律令国家建設のため　全国から多数の労働者がかり集められた。<br />
　　　“　青丹よし奈良の都は咲く花の　匂うがごとくいまさかりなり　”<br />
平城京は唐の長安を模して碁盤の目のように造られ、国家の体制も倣うものとなった。<br />
<<a href="http://nogakusanpo.maya-g.com/displog/265.html" target="_blank">お雛様の装束</a>>でも触れているが、服装までも唐風に倣った。<br />
なんたって、大陸風がもっとも文化的で、お洒落とばかりに憧れだったのだろう。<br />
玄宗皇帝時代、唐代絶頂の時に、遣唐使として唐へ渡った人の中には、李白や王維などの詩人とも<br />
交遊があり、そのまま唐朝に仕えた阿倍仲麻呂のような有能な人もいた。<br />
おおいに我が国の位置を高めたという訳である。<br />
<br />
命を懸けて渡海した人々は、再び命を張って智慧と文化を運んでくる。<br />
遣唐使の持ち帰ったあらゆる物の中に　王羲之(おうぎし)の搨模本(とうもほん)があった。<br />
この搨模本、東晋時代の書家であった書聖、王羲之の文字を学ぶ為の必需品。<br />
王羲之やその流れの書を学ぶには、何といっても手本が欲しい。で、複製が出来る。<br />
搨模本とは書の複製で、その作成技術の一つに双鉤填墨(そうこうてんぼく)というのがある。<br />
要は、文字の上に紙を置き、極細の筆で文字の輪郭を写しとって中を塗りつぶすのだが、<br />
唐時代後半には石や木に書蹟を模写し彫りつけ、拓本を採るという模刻の手法も出た。<br />
どの道、専門の職人によって築きあげられた技術である。何たって、筆と見紛うほどの中国の技。<br />
当時の公的文書の文字は王羲之書法で、書き手の文字はその人品骨柄を表すとばかりに<br />
役人は良い字が書けないと話にならなかったようだ。<br />
唐玄宗はたいそう、王羲之の書がお気に入りで、欧陽詢、虞世南、&#35098;遂良などの書法はすべて<br />
王羲之の書法を深く学んだものという。<br />
<br />
<br />
<b><font style="font-size:11px;">喪乱帖　<a href="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/268-1.jpg" target="_blank"><img src="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/268-1.jpg" border="0" alt="唐代書法"  width = "360" /></a>　東晋時代　王羲之<br />
　　　　　　精<b><font style="font-size:11px;">密な双</font></b>鉤填墨の聖作品で　墨の濃淡、かすれなども真筆さながらである (御物)</font></b><br />
<br />
この時に艱難辛苦の末、我国にもたらされた王羲之の搨模本は聖武天皇、光明皇后の関心を<br />
強く引いたし、平安の世になってからは貴族に広く流布。皆がこぞって学んだ訳である。<br />
王羲之の書は当時の我国ではまだまだ理解が不充分で、他の人の手になる書も混ざっていた<br />
ようだが、兎にも角にも搨模本は全六十巻の巻物にまとめられたという。<br />
律令制による中央集権国家が確立すると、文字、漢字が機能を始める。<br />
戸籍、計帳などの作成や記録をするようになり、文字を書く能力、つまり王羲之書法を身につける<br />
ことが官吏への道となったってことだ。<br />
<br />
李白が玄宗皇帝に仕えて、「清平調詞」を作った頃、我国ではせっせと東大寺の大仏鋳造中。<br />
751年東大寺大仏開眼となり、仏教による鎮護国家の体が成ると、経典の書写も盛んになる。<br />
その時代が日本の書の歴史を通じてもっとも楷書が充実した時期なのだそうだ。<br />
唐代の書法が浸透して、大陸に追いつけ、追いつけと学んだ時代から1300年。<br />
漢字の歴史はそれをまたどれだけ遡ることか。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<font style="font-size:11px;">&#35098;遂良　<a href="http://nogakusanpo.maya-g.com/displog/221.html" target="_blank">http://nogakusanpo.maya-g.com/displog/221.html</a></font><br />
<br />
<br />
</font><br />

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<title>蔵書票の季節</title>
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<modified>2012-03-19T18:28:20Z</modified>
<issued>2012-03-20T03:22:57+09:00</issued>
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<created>2012-03-19T18:22:57Z</created>
<summary type="text/plain">鵞毛庵には今年も蔵書票の季節がやってきました。蔵書票ってなんぞや？という読者の方は昨年の記事をご覧ください。!!$photo1!!　　　　　画像はクリックすると拡大します。BOOK展　I　　Book & Art　2012年3月28日〜4月8日11:00〜17:00　　休廊　月･火装丁･豆本･蔵書票･原...</summary>
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<email>s-gokita@jcom.home.ne.jp</email> 
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<dc:subject>鵞毛庵能の花シリーズ</dc:subject>
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<![CDATA[ 
<font style="font-size:14px;">鵞毛庵には今年も蔵書票の季節がやってきました。<br />
<br />
蔵書票ってなんぞや？という読者の方は<a href="http://nogakusanpo.maya-g.com/index.php?y=2011&m=03&datefile=201103" target="_blank"><u>昨年の記事</u></a>をご覧ください。</font><br />
<br />
<a href="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/267-1.jpg" target="_blank"><img src="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/267-1.jpg" border="0" alt="蔵書票の季節"  width = "360" /></a>　　　　　<font style="color:#3300CC; font-size:10px;">画像はクリックすると拡大します。</font><br />
<br />
<b><font style="color:#CC3333; font-size:18px;">BOOK展　I　　Book & Art　<br />
2012年3月28日〜4月8日</font></b><br />
<br />
<font style="font-size:14px;">11:00〜17:00　　休廊　月･火</font><br />
<br />
<font style="font-size:14px;">装丁･豆本･蔵書票･原画・・・本とアートの関係をお楽しみ下さい。<br />
<br />
<a href="http://www6.ocn.ne.jp/~g-ushin/11.html" target="_blank">Gallery USHIN</a><br />
<br />
4月1日（日）13:30〜はカリグラフィーの1day　レッスンも予定しています。<br />
詳細は上記ギャラリーのブログにて<br />
<br />
　　今回はイソップの寓話のフランス版であるラ･フォンテーヌの寓話を題材にした蔵書票と寓話を五話選んでカリグラフィーで書いたものを元にした豆本を中心に展示予定です。<br />
<br />
また、昨年同様、蔵書票をお買い上げの方には、ご希望によりカリグラフィーでイニシャルやお名前をお入れします。<br />
<br />
　　動物などを擬人化して風刺や教訓を織り込んだ物語を寓話といいますが、その代表がイソップの寓話。このイソップとは英語読みで、本当はアイソポスといい、紀元前7〜6世紀頃の古代ギリシャの奴隷出身の人です。自身の創作というよりは、恐らく昔からの伝承や民話を集めたものだったのでしょう。<br />
<br />
　　ギリシャ語の原典は失われてしまっていますが、ラテン語に訳されたものから15世紀末には英語訳、ドイツ語訳、フランスは17世紀にジャン・ド・ラ・フォンテーヌによるフランス版寓話集が出版されています。<br />
<br />
　　日本で最初にイソップの寓話が紹介されたのは、16世紀末イエズス会士によってですが、江戸時代には「伊曽保物語」として仮名草子、そして明治期になって英語版から翻訳された「伊蘇普物語」がベストセラーになり、その教訓性が修身の教科書に取り入れられたことから広く親しまれてきました。子供の頃に読んだという方も多いことでしょう。<br />
<br />
　　どの国も、その気候風土に合わせてアレンジしてあるようで、日本では「アリとキリギリス」として有名な話は英語版からの和訳。<br />
<br />
　　原典では「セミとアリ」で、ラ・フォンテーヌの寓話でもキリギリスではなくセミが登場します。フランスでは南仏にしかセミは生息していないのに、なんでラ･フォンテーヌはセミのままにしたのか疑問ですが、後世になって昆虫記で有名なファーブル（南仏出身）が、この話はセミの生態を理解しておらずおかしいと批判したとか。<br />
<br />
　　　　　　　　　　　　　　　　　<a href="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/267-2.jpg" target="_blank"><img src="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/267-2.jpg" border="0" alt="蔵書票の季節"  height = "240" /></a>　　　<font style="color:#CC0000; font-size:11px;">画像はクリックすると拡大します。</font><br />
<br />
<font style="font-size:12px;">La Cigale & La Fourmi　（セミとアリ）　Exlibris　<br />
ラ・フォンテーヌ寓話シリーズ蔵書票　（ｃ）La plume d'oie 2012　　</font>　　　　　　　　<br />
　　　　　　　　<br />
5月末からは北浦和のアートプレイスKでも蔵書票展に参加予定です。</font><br />

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<title>李白の清平調詞</title>
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<modified>2012-03-11T15:12:02Z</modified>
<issued>2012-03-12T00:12:02+09:00</issued>
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<created>2012-03-11T15:12:02Z</created>
<summary type="text/plain">号を青蓮居士と云った詩人がいた。その名は李白。出自は諸説紛々ながら、どうも御先祖は西域の人で、漢民族ではなかったらしい。もっとも李白自身はパンダの故郷、四川、蜀で育った。同時代の杜甫と共に最高の詩人とされ、後世には「詩仙」と称された人だが、山に隠棲した</summary>
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<dc:subject>鵞毛庵能の花シリーズ</dc:subject>
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<![CDATA[ 
<font style="color:#009900; font-size:14px;">号を青蓮居士と云った詩人がいた。その名は李白。<br />
出自は諸説紛々ながら、どうも御先祖は西域の人で、漢民族ではなかったらしい。<br />
もっとも李白自身はパンダの故郷、四川、蜀で育った。<br />
同時代の杜甫と共に最高の詩人とされ、後世には「詩仙」と称された人だが、<br />
山に隠棲したり、道士の修行をしたり、25歳あたりからの10数年の間は長江下流域を中心に、<br />
各地を放浪したそうである。<br />
その後 家族を持ち、なんだかんだの末、42歳の時に李白は宮廷詩人として玄宗に仕える。<br />
詩才を見込まれての3年間、李白は朝廷で詩歌を作り、詔勅の起草などをした。<br />
<br />
盛唐以降、牡丹が花の王としてことに珍重されるようになったという。<br />
もともと薬用として利用されていたようだが、その華やかさが玄宗のお気に召したのか、<br />
宮廷としていた興慶宮にあった沈香亭の前には 種々、色とりどりの牡丹が植えられたそうだ。<br />
勿論、ぼたんの鑑賞会、花見の宴開催は必須。<br />
で、管弦にのせて、お気に入りの楊貴妃を称える歌を奏さなくてはなるまい。<br />
李白はお召をうけて、ぱっぱっと三首。　楊貴妃の美しさを牡丹の花に例えた「清平調詞」を作る。<br />
これを当時の名楽人、李亀年に歌わせたとか、奏させたとか。<br />
この時、玄宗が玉笛で曲にあわせ、楊貴妃は葡萄酒を飲みながらそれに聞き入ったと…<br />
さすが文化人の玄宗皇帝。後世の作り話にしても、さもありなん…<br />
<br />
<b><font style="color:#330000; font-size:14px;">清平調詞 其の一<br />
雲想衣裳花想容　　　　　　雲には衣裳を想い　花には容を想う<br />
春風拂檻露華濃　　　　　　春風　檻を払って　露華濃やかなり<br />
若非羣玉山頭見　　　　　　もし群玉山頭に見るにあらずんば<br />
會向瑤臺月下逢　　　　　　かならず瑶台月下に向かって逢わん<br />
<br />
清平調詞 其の二<br />
一枝濃艷露凝香　　　　　　一枝の濃艶　露　香りを凝らす<br />
雲雨巫山枉斷腸　　　　　　雲雨　巫山　枉げて断腸<br />
借問漢宮誰得似　　　　　　借問す　漢宮　誰か似るを得ん<br />
可憐飛燕倚新粧　　　　　　可憐の飛燕　新粧に倚る<br />
<br />
清平調詞 其の三<br />
名花傾國兩相歡　　　　　　名花　傾国　ふたつながら相歓ぶ<br />
常得君王帶笑看　　　　　　常に得たり君王の笑いを帯びて看るを<br />
解釋春風無限</b<b>恨　　　　　　解釈す　春風　無限の恨みを<br />
沈香亭北倚闌干　　　　　　沈香亭北　闌干に倚る<br />
</font></b><br />
丹精込めて育てたのだろう、牡丹の花と自分好みの佳人。その姿を玄宗は満足に眺めて<br />
春の風に季節を感じ、思い悩みも晴れるってわけか。<br />
<br />
「清平調詞」　きよきひょうじょうのうた　でなく、せいへいちょうしとルビが振られている。<br />
清平調は今ではどのようなものだか不明だそうだ。<br />
鉦鼓管弦が澄み渡るような平調の音律を奏で、歌ったのだろうか。<br />
平調は唐楽での調べで、平調(ひょうじょう)という音を基としたものをいい、雅楽では秋の調子<br />
とされているもので、ホ短調に当たる。　<br />
牡丹の華やかさに相応しい調子とも思われない。尤も、花は秋にも咲くし、寒牡丹というのもある。<br />
が、春を愛でているのだから別物だろうか…<br />
蛇足ながら　能でも、盤渉調、黄鐘調、特別な物には平調と、雅楽の調子が登場。<br />
兎も角、どんな調子であれ、春風の香りと想い、牡丹と楊貴妃の華やかさを<br />
李白は七言絶句の言葉で伝えた。<br />
同じ牡丹ながら、三余堂は彼岸の「牡丹餅」（ぼたもち）。　　まもなく春の彼岸である。　<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
</font><br />

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</content>
</entry>
<entry>
<title>お内裏様の装束</title>
<link rel="alternate" type="text/html" href="http://nogakusanpo.maya-g.com/displog/265.html" />
<modified>2012-02-29T15:25:09Z</modified>
<issued>2012-03-01T00:05:26+09:00</issued>
<id>tag:nogakusanpo.maya-g.com/displog/265.html</id>
<created>2012-02-29T15:05:26Z</created>
<summary type="text/plain">花屋の店先に桃の花が並ぶと、今年も冬は終いだと思う。雛祭りのしつらえは春の扉をそっと押しやって、芳しい香りをあたりに振り撒く。道具箱に入れられた沈香の香りが、雛人形様の装束に移って、花の桃色とともに活けられた菜の花の黄色を一層華やいだものにしている。今</summary>
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<name>nogakusanpo</name>
<email>s-gokita@jcom.home.ne.jp</email> 
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<dc:subject>案内望遠鏡</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://nogakusanpo.maya-g.com/index.php">
<![CDATA[ 
<font style="color:#FF00CC; font-size:14px;">花屋の店先に桃の花が並ぶと、今年も冬は終いだと思う。<br />
雛祭りのしつらえは春の扉をそっと押しやって、芳しい香りをあたりに振り撒く。<br />
道具箱に入れられた沈香の香りが、雛人形様の装束に移って、花の桃色と<br />
ともに活けられた菜の花の黄色を一層華やいだものにしている。<br />
今年も　雛祭りの季節になった。<br />
能の雲林院で在原業平が身に纏った装束は単衣の狩衣、冠は武官仕様の巻纓に&#32204;。<br />
さて、三余堂に飾られた立ち雛の<a href="http://nogakusanpo.maya-g.com/index.php?catno=5" target="_blank">装束</a>は如何に。<br />
<br />
公家装束は十二世紀に大変化が起こったそうな。大河ドラマの平清盛の時代である。<br />
それまでは曲線的な柔らかい装束であったものが、厚織や糊でピンとさせた生地を<br />
多く使うようになり、強装束 (こわしょうぞく) と言うようになった。<br />
昇殿する武士の時代になると、身体の線が出る、くたくたっとした柔らかな着物より、<br />
身体を大きく威風堂々とみせるピンとした装束に人気が出たということか。<br />
ともかく、この強装束、一人ではとても着装不能。<br />
装束を着せる人を衣紋方 (えもんかた) という。それは、装束の着装法のお流儀を生むこととなり、<br />
山科家、高倉家などという家が故実の装束部門を承っていた。<br />
季節も位も、時も目的も、事細かに決りを守って、万事作法通りにするためには不可欠な衣紋方。<br />
<br />
飾られた木目込みの雛人形は十二世紀以降の強装束の着用とみた。<br />
で、着装順にまずは肌小袖。　<br />
もともと防寒用として、随時着用していたというもので、現在の和服の原型である。<br />
肌襦袢といったところだろうか、白の袷の平絹。<br />
次が、大口。　袴である。　これは肌小袖の上にはいて、肌小袖を束ねる紐付トランクス。<br />
これは下着なので見えない。<br />
次は上着に単衣。これは結構幅広で、装着時に前後でたっぷりひだをとる。<br />
これは見えるのは襟のみ。<br />
それから指貫(さしぬき)。だぶだぶの袴で裾を均一にして、括る。<br />
もっとも本来は、中に大口袴が隠れているので、決して、ゆったりとは…<br />
そして、上着の袍(ほう)。 これも御身分でいろいろと決っている。<br />
お内裏様は天皇様ということなので、縫腋袍、桐竹鳳凰文様の青色と行きたいところだが、<br />
そうは問屋がおろさぬ木目込み装束。<br />
おっと、大切な被り物、冠。　これは最後に載せるお飾りなんぞではない。肌小袖の次に着用をする。<br />
<br />
この冠、被り物には大切な役割があった。<br />
その頃、それまで伸ばしていた髪を元服時に、紐で束ねて頭上に立たせた。<br />
要するに髻(もとどり)を作った訳で、これこそが、成人男性の象徴であったと。<br />
そもそもは律令制導入とともに大陸から取り入れた風習だが、被り物はこの髻の保護の為のもの。<br />
無帽の状態は露頂といって恥辱とする概念が生まれたというから、お大切なのである。<br />
風呂も、就寝時も脱がず、笠や冑も被り物の上から被ったのだそうだ。<br />
冠は束帯、布袴(ほうこ)、衣冠といった装束で被り、私服の時は烏帽子。　<br />
大人の男に被り物がないのは　丸裸ということで、肌着の次に着用するというのも頷ける。<br />
<br />
冠も、強装束以後に変化があり、漆の加工で透けなくなったり、纓が冠から取り外せるようになった<br />
という。そこで、纓を二枚重ねてピンとなるようにする。<br />
纓の根元を冠に作られたソケットに差し込むのだから、根元が上がる。　<br />
という訳で、時代とともに 纓の根は上昇。<br />
巻いている卷纓に対して、先端が垂れ下がるものを垂纓といった。<br />
垂纓は天皇、皇太子、皇族、文官用であったが、江戸時代以降の天皇の冠は纓の先端が下がらず<br />
立ったままで、現在に至るという。　これを御立纓 (ごりゅうえい) という。　<br />
そもそも、被り物はかんざしで髪に止めていて、紐で結んではいなかったものが、<br />
江戸時代以後、顎で結ぶ懸緒となったということで、御立纓のお内裏様の冠に紐が<br />
掛っているのも道理ということか。と、納得して雛飾りを眺め入る。<br />
<br />
やっぁ〜　　御立纓、纓がっ。　<br />
纓を挿す壺が壊れてテープで張り付けられ、それも剥がれて…<br />
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　まぁまぁ、今年もお勤めを果たされ、ご苦労なことである。<br />
<br />
<br />
<br />
<font style="color:#000000; font-size:11px;">改めて眺めると人形装束はなんともはや…　</font><a href="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/265-1.jpg" target="_blank"><img src="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/265-1.jpg" border="0" alt="お内裏様の装束"  height = "240" /></a><font style="color:#000000; font-size:11px;">　　　腰帯なんぞが前に下がり、　笏もあんな持ち方で〜<br />
　この内裏雛、能での遊士の出立。さしずめ、光源氏のことと言われる　能≪融≫の大臣というところか。<br />
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　色形ともみばえが重視のあくまで創作着装　</font><br />
<br />
<br />
<br />
<br />
</font><br />

]]>
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<title>桃の花</title>
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<modified>2012-02-19T17:08:36Z</modified>
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<summary type="text/plain">　　　まだまだ寒い日が続いていますが、ヴァレンタインデーが終わると世の中は一斉に「おひなさま」モードで、花屋さんでは桃の花を売っているのを見かけます。　　　三余堂の玄関も雛飾りで華やかになっております。鵞毛庵は雛あられやかわいい雛菓子を購入して飾りつけ</summary>
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<dc:subject>鵞毛庵能の花シリーズ</dc:subject>
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<![CDATA[ 
<font style="font-size:14px;">　　　まだまだ寒い日が続いていますが、ヴァレンタインデーが終わると世の中は一斉に「おひなさま」モードで、花屋さんでは桃の花を売っているのを見かけます。<br />
<br />
　　　三余堂の玄関も雛飾りで華やかになっております。鵞毛庵は雛あられやかわいい雛菓子を購入して飾りつけの準備中。そして、3月1日からスタートするグループ展「桃の華｣のための作品準備中でもあります。<br />
<br />
<br />
　　　何人かと雑談中に、桃の花を詠んだ和歌って意外にないかも？というのが話題に。早速調べてみたところ、俳句になると結構たくさん詠まれているのですが、和歌ではやはりすごく少ないようです。<br />
<br />
そのひとつに万葉集にある大伴家持の歌<br />
<br />
春の苑くれなゐにほふ桃の花　下照る道に出で立つをとめ<br />
<br />
というのがありました。<br />
<br />
そういえば、いつだったか上巳の節句がお雛様なのだと中国人の友人に説明した時に、それならば桃の花の歌をと唐の孟&#26856;（もうけい）が記した書物「本事詩」に出てくる崔護（さいご）の歌を教えてくれたのを思い出しました。<br />
<br />
<br />
去年今日此門中<br />
人面桃花相映紅<br />
人面不知何処去<br />
桃花依旧笑春風 <br />
<br />
<br />
去年の今日しかもこの門の中で<br />
（あの娘の)顔と桃の花が紅く映りあっていたなあ<br />
あの娘はどこへいったのか知らないけれど<br />
桃の花は去年と同じように春風に笑っているよ <br />
<br />
という意味合いです。 <br />
<br />
なんでもこの詩を詠んでこの家に置いていった後、気になって再び戻ってみると、老人が出てきて、娘はこの詩を見て悲しんで息絶えましたといい、驚いて亡骸に寄添うと、娘が生き返り、二人は末永く桃の花の下で幸せに暮らした、というお話だとか。 <br />
<br />
どちらもうら若き美しい娘と紅染むる桃の花。昔ながらの桃の花って結構濃い色合いなのです。今、よく目にするのは、品種改良されたり、花桃といわれる種類で色が薄めになっています。<br />
<br />
鵞毛庵が住んでいたパリの中華街のプチ桃源郷の桃花（タオホワ）はそろそろ咲くかしら？今年はシベリア大寒波に襲われたようなので、まだまだでしょうか？<br />
<br />
<a href="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/264-1.jpg" target="_blank"><img src="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/264-1.jpg" border="0" alt="桃の花"  width = "320" /></a>　　<font style="font-size:11px;">パリ13区中華街の桃花</font><br />
<br />
などなど思いをめぐらせながら、「桃の華」展用の作品の色合いをあれやこれや。<br />
<br />
<font style="color:#FF3399; font-size:16px;">弥生女流展「桃の華」</font><br />
<br />
<a href="http://www.shinyurigaoka.com/kasari/" target="_blank">ギャラリー華沙里</a><br />
<br />
川崎市麻生区上麻生1-10-6-2F<br />
最寄駅　小田急線　新百合ヶ丘　南口より徒歩5分<br />
2012年3月1日(木）〜3月13日(火）<br />
11:00am　〜　6:00pm　（最終日5:00pmまで/水曜休）</font><br />
<a href="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/264-2.jpg" target="_blank"><img src="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/264-2.jpg" border="0" alt="桃の花"  width = "360" /></a><br />

]]>
</content>
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<title>装束</title>
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<modified>2012-02-11T15:23:38Z</modified>
<issued>2012-02-12T00:04:38+09:00</issued>
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<created>2012-02-11T15:04:38Z</created>
<summary type="text/plain">如月壱弐日　三余堂は初冠に&#32204;、狩衣指貫の出立ちで在原業平の霊となる。この装束、当然その演出効果を考えた能の舞台上の出立ち。とはいえ、霞を食む風流人、遊士というのか、貴人の格好の象徴である。そもそも　装束とは家屋、道具などの飾りつけや、装飾品の総称</summary>
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<dc:subject>三余堂月次</dc:subject>
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<![CDATA[ 
<font style="color:#3399CC; font-size:14px;">如月壱弐日　三余堂は初冠に&#32204;、狩衣指貫の出立ちで在原業平の霊となる。<br />
この装束、当然その演出効果を考えた能の舞台上の出立ち。<br />
とはいえ、霞を食む風流人、遊士というのか、貴人の格好の象徴である。<br />
そもそも　装束とは家屋、道具などの飾りつけや、装飾品の総称でインテリアということになる。<br />
室町期にはそういうことを室礼(しつらい)と言った。<br />
一方で、衣服を身に着けて装う、着衣のことでもある。<br />
もっとも、着るものならなんでも良いというわけでない。十世紀以降の平安貴族、公家社会の<br />
公の衣服が基盤となって、以後、武家の礼装などを装束と言った。<br />
能の衣裳も装束と云っている。<br />
<br />
では、公の服とは何ぞや。男子は朝廷に参内する時の着衣。つまり、官僚の制服である。<br />
女子の公服は御前に罷り出る時の着衣。　御前とは、天皇、皇后のことで、要は女官さんの<br />
制服ということになる。<br />
男子は自邸で、私服から公服に着替えて参内、職場へ出る。<br />
女官たる、女房達は宮中内に房室を得て、住込みでの生活だから、私服との差が曖昧。<br />
故に　天皇に相対する公家男子装束には細かい規定や、名称がいろいろ…<br />
公家の装束は身分により定められたものを、決まりに従って身に着けていたのである。このお決まり、古くは養老律令の衣服令　いぶくりょう　という規定にしっかりと登場。<br />
当然のことながら、大宝律令にもあったであろうが、そちらは散逸とのことで不明。<br />
この令には、礼服(らいふく)、朝服(ちょうふく)、制服(せいふく)と公服が着用身分や<br />
機会によって、細々と規定がある。<br />
嵯峨天皇の弘仁年間に我国の律令制が確立するが、なんたって、大陸からの輸入品の律令。<br />
衣服も当初は唐風だった。<br />
この礼服というのは、経済的に負担の大きい装束だったようで、簡単には調達できず、<br />
それを理由に、官人が元日朝賀を欠席するようなことがあったとか…　　<br />
<br />
時代を経てその後は、天皇即位のときのみの着用となったものの、1846年　孝明天皇即位まで<br />
着用したという。　この物入りな礼服に代わって重用したのが、朝服で、和様化も進み、男子束帯、<br />
女子女房装束が確立していったという。<br />
着衣も気候風土、生活様式などに合ったものへ変化したのは当然だが、政治を司る場所も大陸の<br />
唐風の建物から　高床の建物で沓を脱ぎ、床に直接座るような内裏になる。　立礼から座礼へ。<br />
<br />
そんなこんなで　貴族を思い描く束帯とよばれる形ができた。当時の正装である。<br />
束帯以外に　公家男子の装束として、布袴(ほうこ)、衣冠(いかん)、直衣(のうし)、小直衣(このうし)、　<br />
狩衣(かりぎぬ)、　水干(すいかん)、　などがある。<br />
清盛の父が昇殿するにあたっての大騒ぎが大河ドラマで描かれていたが、<br />
武家も　直垂(ひたたれ)、大紋(だいもん)、素襖(すおう)、肩衣(かたぎぬ)　などの装束があったし、<br />
時代、時代で厳しく決まりがあった。<br />
被り物、肌着、下着、上着、に装身具、持ち物、履物とすべて束帯は束帯用のものがあって、<br />
あれとあれが、これで、ちっちは上で、あっちは下で…　　紐はこれは組紐だが、それは撚り紐だ…<br />
そんなに細かく決まっていようと、時の好み、流行が生地から、形から、変化させてもいった。<br />
勿論　文官、武官、年齢、立場、やれ季節だ、行事だと　規定が大変な上、着衣方法も複雑で、<br />
しっかりした生地が流行れば　　“一人じゃあできない〜　”　となっていく。<br />
当然、装束に関して　蘊蓄をたれる物知りな者が必要である。<br />
なんたって、律令にあるのだから、専門知識者の仕事となり、代々家で引継がれ、流儀ってものが出来る。<br />
朝廷の儀式や政務についての由来や根拠の知識。これが所謂、有職故実　ということだ。<br />
<br />
<br />
花の春、夢の中に、業平が現れ、『伊勢物語』に秘められた二条の后との恋を物語り、舞う。<br />
雲林院での業平の霊はほんの少し、眉間に皺を寄せた面で、単衣の狩衣姿。<br />
狩衣は鷹狩りなどに着用のものが、平安初期には上皇以下の公家の日常着になったという。<br />
袴は裾を紐でくくった指貫(さしぬき)。　たっぷり、ゆったりした袴の下には下袴の着用をする。<br />
冠につけられた&#32204;(おいかけ)は<こゆるぎ>ともいう。<br />
武官の冠の両側面につけるもので、馬の毛を扇をひろげたような形をしている。<br />
舞台では、昔を思い舞の袖を返す業平の霊が夢の世界へ誘うために　その装束を工夫して見せる。<br />
素材、色、文様、形、すべての扱いが現の有職故実を飛び越えて　人々の内へ　忍び入る為に。<br />
<br />
        <font style="font-size:10px;">　　　　　　　　　　　　雲林院メモ</font>　<a href="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/263-1.jpg" target="_blank"><img src="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/263-1.jpg" border="0" alt="装束"  height = "240" /></a><br />
<br />
   <br />
<br />
<br />
<font style="font-size:12px;"><a href="http://www.kanze.com/index.html" target="_blank">観世九皐会　二月定例会　雲林院</a></font><br />
<br />
<br />
<br />
<br />
</font><br />

]]>
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</entry>
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<title>ご清聴感謝！</title>
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<modified>2012-02-04T23:24:51Z</modified>
<issued>2012-02-05T08:24:51+09:00</issued>
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<summary type="text/plain">本日の放送をご清聴頂きました皆さま、有難うございました。　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　三余堂</summary>
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<dc:subject>案内望遠鏡</dc:subject>
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<![CDATA[ 
<font style="font-size:14px;">本日の放送をご清聴頂きました皆さま、有難うございました。<br />
　<br />
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　三余堂</font><br />

]]>
</content>
</entry>
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<title>雲林院　　在原業平</title>
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<modified>2012-02-11T10:08:28Z</modified>
<issued>2012-02-01T00:06:11+09:00</issued>
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<created>2012-01-31T15:06:11Z</created>
<summary type="text/plain">辺り一面　厚い雲に覆い尽くされた新宿ホテルの最上階。窓の向こう、雲の中に点滅する塔は完成間近の　スカイツリー。こんなにも近くに見えるのかと改めてその高さに驚く。隅田川にかかる業平橋付近に間もなく開業の東京スカイツリーが建つ。「おしなりくん」と云う人形が</summary>
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<dc:subject>案内望遠鏡</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://nogakusanpo.maya-g.com/index.php">
<![CDATA[ 
<font style="color:#006600; font-size:14px;">辺り一面　厚い雲に覆い尽くされた新宿ホテルの最上階。<br />
窓の向こう、雲の中に点滅する塔は完成間近の　スカイツリー。<br />
こんなにも近くに見えるのかと改めてその高さに驚く。<br />
隅田川にかかる業平橋付近に間もなく開業の東京スカイツリーが建つ。<br />
「おしなりくん」と云う人形が地元の宣伝のために作られて活躍している。<br />
所謂　ゆるキャラというもので、その名は地元、押上と業平橋からとったものだそうで、<br />
平安貴族の格好に烏帽子が東京スカイツリーをかたどっている。<br />
つまり、押し上げ近辺の在原業平がのっぽの烏帽子を被っているということだ。<br />
伊勢物語で在原業平が都を思う歌を詠んだ事にちなんでの御縁である。<br />
<br />
<b>“<font style="color:#006666; font-size:12px;">名にし負はば いざこと問はむ 都鳥 わが思ふ人は ありやなしやと</font>” 　</b><br />
古今和歌集に収められたこの歌は在原業平のもので、　能　隅田川　でも耳慣れている。<br />
父方をたどれば桓武天皇の曾孫、母方をたどれば桓武天皇の孫にあたるという、業平。<br />
皇統が嵯峨天皇の子孫へ移り、826年に臣籍降下して、兄の行平らとともに在原姓となったそうな。<br />
業平は美男。　ということになっている。<br />
二条后や、高貴な女性たちとの禁忌の恋が語られている『伊勢物語』の主人公である。<br />
いわゆる「昔男」とされてきた。<br />
古今和歌集などの歌集で知られた歌人で、兄の行平をはじめ子や孫も歌人。<br />
多くの歌を残している一方、兄の在原行平、共々鷹狩の名手であったというから、当時の貴族の<br />
身につけるべき事柄は何か、ということを垣間見る。<br />
因みに　“立ち別れ いなばの山の みねにおふる まつとし聞かば 今帰り来む”　というのが<br />
在原行平の歌で、百人一首で十八番にしている御仁も多かろう。<br />
これは　昔からの能の人気曲、　松風の題材となっている和歌である。<br />
<br />
<br />
　　　<b>　<font style="color:#006666; font-size:12px;">“　世の中に たえて櫻の なかりせば 春の心は のどけからまし　”　<br />
　　　　“　から衣 きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる たびをしぞ思ふ”<br />
　　　　“　ちはやぶる 神代もきかず 龍田川 からくれなゐに 水くゝるとは ”</font></b><br />
<br />
これら古今和歌集の歌は伊勢物語やら、百人一首やらで　耳になじんだ弟在原業平のものである。<br />
業平の没後、時が経ち、世阿弥の時代。　当然のように能に数多く業平の影は登場してくる。　<br />
<br />
世阿弥作と謂われる　能の雲林院は業平と二条后の恋物語が素材。<br />
美しい業平の霊の遊舞が、平安の貴族の優雅さを漂わせる能である。<br />
雲林院は世阿弥自筆の能の本が残っていて、その自筆本では現行と異なり、後段、<br />
二条后の兄である藤原基経の霊が鬼、怨霊のような姿で登場する　妄執の能だったとか。<br />
花の舞い散る月夜に　殿上人の装いで現れて昔を偲んで舞い、幻と消えゆく業平だった　〜　　とは<br />
行かなかったようである。<br />
<br />
花の名所、雲林院は応仁の乱で廃絶してしまった。<br />
淳和天皇の離宮が造られたという紫野一帯は野の広がる狩猟地で、桜の名所だったという。<br />
そこに雲林院はあった。色々な変遷の後に官寺となった雲林院。　<br />
在原業平が伊勢物語の筋を夢で語る処。能　雲林院　の舞台となったが、　今昔物語集や大鏡の<br />
舞台ともなり、源氏物語にも登場する。<br />
現在の雲林院は、1707年にかつての寺名を踏襲して、大徳寺の塔頭として建てられたものだそうで、<br />
往時のものではない。<br />
<br />
<br />
もっと、もっと、時代は下って、江戸の世。　落語でご存じ、花魁千早太夫と相撲取り龍田川のお話。<br />
“千早ふる”は　隠居が<b><font style="color:#006666; font-size:12px;"> “　ちはやぶる 神代もきかず 龍田川 からくれなゐに 水くゝるとは ”</font></b> に<br />
いい加減な解釈をする話だが、「千早振る神代にもない　いい男」　「冬枯れに無地に流るる龍田川」<br />
などの狂歌が基にある。　<br />
この当時も　美男で様子のいい男業平は勿論のこと、その歌の知名度の高さを示しているわけだ。　<br />
<br />
如月壱弐日　三余堂は初冠に&#32204;、狩衣指貫の出立で<a href="http://www.kanze.com/index.html" target="_blank">在原業平の霊となる</a>。<br />
はてさて　伊勢物語の往時が蘇えるか。<br />
<br />
<br />
<a href="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/260-1.jpg" target="_blank"><img src="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/260-1.jpg" border="0" alt="雲林院　　在原業平"  height = "240" /></a><br />
<br />
能「雲林院」　（ｃ）La plume d'oie　2012<br />
<br />
<br />
<br />
</font><br />

]]>
</content>
</entry>
<entry>
<title>安穏なれ</title>
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<modified>2012-01-19T17:25:40Z</modified>
<issued>2012-01-20T01:29:43+09:00</issued>
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<created>2012-01-19T16:29:43Z</created>
<summary type="text/plain">!!$photo1!!　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　           　                                                    　!!$photo2!!(c)La plume d'oie 2012 　　世の中安穏なれ阪神淡路大震災から早17年。先の大震災から10ヶ月。今年は親鸞</summary>
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<name>nogakusanpo</name>
<email>s-gokita@jcom.home.ne.jp</email> 
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<dc:subject>鵞毛庵能の花シリーズ</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://nogakusanpo.maya-g.com/index.php">
<![CDATA[ 
<a href="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/259-1.jpg" target="_blank"><img src="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/259-1.jpg" border="0" alt="安穏なれ"  width = "340" /></a><br />
<br />
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　           　<br />
<br />
                                                    　<a href="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/259-2.jpg" target="_blank"><img src="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/259-2.jpg" border="0" alt="安穏なれ"  width = "338" /></a><br />
<br />
(c)La plume d'oie 2012 　　世の中安穏なれ<br />
<br />
<br />
<font style="font-size:14px;"><font style="font-size:14px;">阪神淡路大震災から早17年。先の大震災から10ヶ月。<br />
今年は親鸞聖人の７５０回忌、大遠忌（だいおんき）。そのスローガンである「世の中安穏なれ」を昨年から多く作品にして、沢山の方々に見ていただきました。<br />
<br />
ただ今、神楽坂のセッションハウスにて<a href="http://www.session-house.net/2f.html" target="_blank">、「大きな夢・小さな絵展」</a>に参加している鵞毛庵は、新年あらためてまた新作を展示しています。<br />
<br />
2012年はどんな年になるのでしょうか？先ほども楽しく一杯やっていた時に　友人の携帯の緊急速報が鳴り、しばらくドキドキしたばかりです。<br />
出来うる限り安穏であって欲しいと願うばかりです。<br />
<br />
上記作品は、正倉院の螺鈿紫檀五絃琵琶の図柄から写した鳥と花のモチーフをあしらった作品です。<br />
<br />
琵琶といえば平家物語。今年の大河ドラマでは　清盛の活躍はどのように描かれるのか、ちょっと興味深々。<br />
<br />
数々の平氏の合戦にまつわるエピソードは能の曲目の題材になってます。<br />
<br />
藤戸の合戦は清盛の死後なので大河ドラマでは描かれないでしょうが、先の三余堂月次にありますように、2月5日のラジオでの三余堂による「藤戸」、みなさま御堪能ください。<br />
とはいっても、日曜の早朝、起きられるかいなァ…　そんなァ、無理です！と知人に言われてしまった鵞毛庵ですが…<br />
<br />
その前に、矢来能楽堂からもすぐ近くの神楽坂セッションハウスガーデンでの展覧会にも、是非お運び下さい。<br />
<br />
鵞毛庵は22日（日）、23日（月）、26日（木）と最終日28日（土）は在廊を予定しております。<br />
<br />
<br />
とにもかくにも、2012年、安穏なれ。</font></font><br />

]]>
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<title>藤戸</title>
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<modified>2012-01-12T01:19:57Z</modified>
<issued>2012-01-12T00:12:25+09:00</issued>
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<created>2012-01-11T15:12:25Z</created>
<summary type="text/plain">初回を終えたばかりの今年のNHK大河ドラマ。大河ドラマが50年目だというので、張り切って平清盛の生涯を描くことになった。平清盛は瀬戸内の海賊を束ねて武家の棟梁となり、太政大臣にまでなったが、そんな一族を描いたのが、『平家物語』。軍記である。その平家物語の第十...</summary>
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<name>nogakusanpo</name>
<email>s-gokita@jcom.home.ne.jp</email> 
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<dc:subject>三余堂月次</dc:subject>
<content type="text/html" mode="escaped" xml:lang="ja" xml:base="http://nogakusanpo.maya-g.com/index.php">
<![CDATA[ 
<font style="color:#6600FF; font-size:14px;">初回を終えたばかりの今年のNHK大河ドラマ。<br />
大河ドラマが50年目だというので、張り切って平清盛の生涯を描くことになった。<br />
平清盛は瀬戸内の海賊を束ねて武家の棟梁となり、太政大臣にまでなったが、<br />
そんな一族を描いたのが、『平家物語』。軍記である。<br />
<br />
その平家物語の第十巻に藤戸の合戦が登場。<br />
今は干拓されて、岡山平野の丘陵として市街化している一帯。<br />
源平の合戦の頃、岡山平野は、幾つかの島が点在する一面の浅海。<br />
「瀬戸の穴海」と呼ばれ、海流の強い讃岐海峡を避けた瀬戸内海の主要な航路であったと。<br />
<br />
源頼朝に伊豆の流人時代から仕えた佐々木三郎盛綱という武将がいた。<br />
この人長いこと仕えているだけあって、なんだかんだと、頼朝挙兵に従って、ご活躍。<br />
富士川の戦いでも有名人だが、備前国児島の藤戸合戦でも有名。<br />
元暦元年（1184年）、佐々木盛綱は平氏追討の為、平行盛率いる五百余騎が篭もる城を攻める。<br />
そのお城、藤戸の海峡のあっちの島なんで。<br />
そこに篭ってしまった行盛に、さぁて、どうしよう…　　島へ渡りたいが、ン〜　如何に。　<br />
しからば、地元の漁師から馬で渡れる浅瀬を聞くのが一番。と、盛綱さん。<br />
<br />
ちゃっかり、しっかりと漁夫のお兄さんに浅瀬を教えて貰っちゃって。<br />
おまけに闇夜に紛れて、二人して裸になって浅瀬を渡ってみたったて言うから、お兄さん、ご親切。<br />
感謝感謝。　だがな、この男、浅瀬の攻め込みを平家に喋らないとも限らん、<br />
味方にこの浅瀬を教えられたら、己の功名がこの手には　…<br />
帰途、盛綱さん物も云わずに漁夫のお兄さんを、刺し、首掻き切って　口封！<br />
<br />
翌朝、波を馬で乗り越え先陣を切って、それぇ〜　と攻め入ったそうな。　<br />
かくて盛綱さん 「川を馬で渡って一番乗りをする話は聞くが、海を馬で渡っての先陣の功。<br />
古今東西前代未聞、希代の例（<font style="font-size:10px;">ためし</font>）」 と大親分の頼朝激賞。<br />
で、備前の児島を所領として賜ったって。<br />
<br />
この佐々木三郎盛綱さん、児島の郷を受領し入国した時に、合戦で荒れた藤戸寺を修復して<br />
源平両軍の戦没の者、先陣の手引きをしてくれた、あの漁夫のお兄さんなどのため、<br />
藤戸寺で大法要を行ったんだそうな。<br />
お寺の飛び境内であった小島にお経を納め、供養塔を建立。　これが今の経ケ島なんだそうで。 <br />
<br />
<br />
この話を、足利将軍に庇護された世阿弥は、能『藤戸』として描いた。<br />
<br />
佐々木盛綱が所領として賜った児島に赴くと、一人の老婆が現れて盛綱に恨み言を云う。<br />
そう、この老婆ご明察の通り。漁夫のおっかさん。　さぁて、なんと言ったろう…<br />
相対する盛綱さんはなんとしたろう…　　殺された漁夫のお兄さんはどんな想いだったろうか…<br />
<br />
　　　盛綱　「心を静め声を上げ　一切有情　殺害三界　不堕悪趣<br />
　　　漁夫　「御弔いはありがたけれども。恨みはつきぬ、妄執を…<br />
<br />
と、海上に漁夫のお兄さんの霊が。突然刺し通されて殺された揚句に弔われたって、ねぇ〜　<br />
　　が、オットどっこい<br />
　　「生死(<font style="font-size:10px;">しょうじ</font>)の海を渡りて　願いのままに　やすやすと　彼(<font style="font-size:10px;">か</font>)の岸に　至り至りて<br />
　　　　　　　　彼(<font style="font-size:10px;">か</font>)の岸に　至り至りて　成仏得脱　(<font style="font-size:10px;">じょうぶつとくだつ</font>)の身となりぬ。<br />
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　成仏得脱　(<font style="font-size:10px;">じょうぶつとくだつ</font>)の身とぞなりにける。<br />
<br />
『藤戸』に描かれた其々は、作る、演じる、それを見聞きする、夫々の中で　それぞれに息づく。<br />
日曜の朝、その、それぞれにお耳を拝借。<br />
<br />
　　　　　２月５日　ＮＨＫＦＭラジオ　ＡＭ7:20〜　<a href="http://www.nhk.or.jp/koten/noh_kyogen/" target="_blank">能楽鑑賞</a> 　『藤戸』<br />
　　　　　　<font style="font-size:10px;">シテ　漁夫のおっかさん・漁夫の霊</font>　五木田　三郎　　　<font style="font-size:10px;">ワキ　佐々木盛綱　　</font>観世喜正<br />
</font><br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />

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</content>
</entry>
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<title>壬辰の春に</title>
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<modified>2011-12-31T15:00:20Z</modified>
<issued>2012-01-01T00:00:20+09:00</issued>
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<created>2011-12-31T15:00:20Z</created>
<summary type="text/plain">恭頌新禧!!$photo1!!2011の大晦日の東京はこの季節らしい一日であった。おテント様が真っ青な空に輝いて、乾いた冷たい空気に街路樹のイチョウが舞っていた。四人の童子が、“おっと　うつむきゃ涙がこぼれる　いつでも楽観　上向き童子　”と、空を仰ぎ今日のこの日を待っ...</summary>
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<dc:subject>案内望遠鏡</dc:subject>
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<![CDATA[ 
<font style="color:#CC0000; font-size:36px;">恭頌新禧</font><br />
<br />
<br />
<a href="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/257-1.jpg" target="_blank"><img src="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/257-1.jpg" border="0" alt="壬辰の春に"  width = "360" /></a><br />
<br />
<br />
<font style="font-size:14px;">2011の大晦日の東京はこの季節らしい一日であった。<br />
おテント様が真っ青な空に輝いて、乾いた冷たい空気に街路樹のイチョウが舞っていた。<br />
四人の童子が、“おっと　うつむきゃ涙がこぼれる　いつでも楽観　上向き童子　”と、空を仰ぎ<br />
今日のこの日を待っていた。<br />
<br />
2012年　1月1 日。壬辰の元旦を迎えた。<br />
<br />
正月の能の初会には　『翁』が演じられる。　<br />
これは能の成立に先行して行われていた、猿楽の本来の役目のものであった。　<br />
役者が翁面をつけ、天下泰平を寿ぎ、国土安穏を祈って翁の舞を舞う。<br />
現行の形は世阿弥時代の形態を伝えていると云われ、今も、上演前は精進潔斎、別火をする。<br />
『べっか』と読む別火は、日常用いる火による穢れを忌んで、炊事の火を別にすることだ。<br />
翁に際しては、神職が神事などに際して行う別火を行い、開始直前に鏡の間での杯事をする。<br />
翁は舞台上でも、正面に深々と拝礼をし、所定の場所に着座すると　おもむろに　<br />
　“とうとうたらりたらりら。たらりあがりららりとう。”　と発声。<br />
　“ちりやたらりたらりら。　たらりあがりららりとう。”と、地謡が答える。<br />
判らんような、判らんような…　が、わかったような　翁の初頭の詞章である。<br />
これは神事なのである。<br />
 “およそ千年の鶴は。万歳楽と謳うたり。また萬代の池の亀は〜<br />
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　天下泰平。国土安穏。今日の御祈祷なり〜　”　と　翁が謡う。<br />
<br />
陽を仰ぐ童子も、地を舞う翁も届けとばかりに思う願いは同じ。<br />
</font><br />
<br />
　　　<font style="font-size:10px;">　薮内佐斗司 作　上向き童子</font>　<a href="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/257-2.jpg" target="_blank"><img src="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/257-2.jpg" border="0" alt="壬辰の春に"  height = "240" /></a>　<font style="font-size:10px;">於西荻地域区民センター</font><br />
<br />
<br />
<br />
<br />

]]>
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<title>いやはやもうすぐ冬至</title>
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<modified>2011-12-19T15:02:01Z</modified>
<issued>2011-12-20T00:02:01+09:00</issued>
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<created>2011-12-19T15:02:01Z</created>
<summary type="text/plain">    　　　 もうすぐ冬至だというのに、まだまだ綺麗なイチョウの黄金色が目に入ります。あと数日でクリスマスなんですが．．．     　　　鵞毛庵は11月末からずっとあちこちのギャラリーでクリスマス展を掛け持ち。ただ今、最後の展示が北浦和のアートプレイスKで27日まで...</summary>
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<dc:subject>鵞毛庵能の花シリーズ</dc:subject>
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<![CDATA[ 
    　　　<font style="font-size:14px;"> もうすぐ冬至だというのに、まだまだ綺麗なイチョウの黄金色が目に入ります。あと数日でクリスマスなんですが．．．<br />
<br />
     　　　鵞毛庵は11月末からずっとあちこちのギャラリーでクリスマス展を掛け持ち。ただ今、最後の展示が北浦和の<a href="http://artplacek.sakura.ne.jp/index.html" target="_blank">アートプレイスK</a>で27日まで行われています。<br />
<br />
     　　　さて、そのクリスマス。キリストの誕生を祝った日なのですが、本当は生まれたのは12月なんかじゃないのです。キリスト誕生にまつわる記載がある新約聖書のルカやマタイの福音にも、日付はどこにも出てきません。<br />
ではなぜ12月25日になったのか？？？<br />
<br />
    　　　 それは、キリスト教以前から、ケルトやらゲルマンやら北欧やら、あちこちの民間信仰で冬至の祝いがあったからなのです。昔は冬至で一年が終り、翌日からどんどん日が長くなって春に向かうというわけで、五穀豊穣を願って神に感謝したり、一年の締めくくりとしてさまざまな風習がありました。　神様が悪い子を見つけては叱責し、良い子にはお菓子や贈物を持ってくるなどというような言い伝えもたくさんあります。なぐごはいねが〜〜〜〜のナマハゲみたい。<br />
<br />
     　　　そして人々は互いに感謝の念を贈物であらわしたり、困っている人に施しをしたりなどという風習もいたるところであったのでした。<br />
<br />
    　　　 キリスト生誕（正しくは降誕）の祝いを広めるには、民間に強く根付いた風習を上手く取り入れて融合させるのがよいとのことで、12月25日に落ち着いたとされるのが、紀元4世紀頃のことです。<br />
<br />
    　　　 今年は展覧会用のクリスマスカードやミニ作品に　クリスマス柄を沢山描きました。ヒイラギは常緑なので緑は永遠の命を象徴、赤い実はキリストが流した血、ヒイラギ（西洋ヒイラギ）のとげは古くから邪気を払うともされ、（あれ？これ、節分の時の．．．。）、リボンは永遠の結びつき、鐘はキリスト誕生を知らせる、羊飼いのベルから音を聞き迷わず神の元に帰れる、音で邪気をはらう魔よけ、などそれぞれ意味があります。<br />
<br />
<br />
　　　　　　　　　　　　　　　　<a href="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/256-1.jpg" target="_blank"><img src="http://nogakusanpo.maya-g.com/img/256-1.jpg" border="0" alt="いやはやもうすぐ冬至"  width = "360" /></a><br />
<br />
     　　　さてさて、日本でも冬至は暦の上で節目。柚子湯にかぼちゃにうどんに、無病息災を願ってあれやこれや。そしてクリスマス、大晦日と、いろいろあった一年も余すところわずかです。<br />
<br />
皆様　どうぞ良い年を迎えられますように。<br />
今年も一年間、「能楽さんぽ」をご愛読ありがとうございました。　</font><br />

]]>
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<title>目次</title>
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<modified>2011-12-16T13:22:17Z</modified>
<issued>2011-12-12T00:22:53+09:00</issued>
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<created>2011-12-11T15:22:53Z</created>
<summary type="text/plain">　広辞苑に　“箇条または題目の順序。　目録。　書物・雑誌の内容の見出し書き。”　と、書かれている　目次。　内容の順序や、見出しは良しとして、目録とは何ぞや。　古くは書物や文書中の題目だけを集めて書いたものとか、進物の物品名や金銀の額などを記した文書。　</summary>
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<name>nogakusanpo</name>
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<dc:subject>三余堂月次</dc:subject>
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<![CDATA[ 
<font style="color:#006600; font-size:14px;">　広辞苑に　“箇条または題目の順序。　目録。　書物・雑誌の内容の見出し書き。”　<br />
と、書かれている　目次。　内容の順序や、見出しは良しとして、目録とは何ぞや。　<br />
古くは書物や文書中の題目だけを集めて書いたものとか、進物の物品名や金銀の額などを<br />
記した文書。　といった意味がある。　<br />
要するに中身の書上げで、ひとつ、なになに…　　ひとつ、なになに…　と　内容が端的に<br />
判るようにしたものであるから、ざっと目を通して　すっかり判った気にさせてくれる代物。　<br />
取敢えず目次を見て、食指の動いた所へ移動をしてっ。　<br />
<br />
　特定の項目を素早く見付け出せるようにしたものに、索引がある。<br />
兎にも角にも、探している処へいきつけるように、用語などを抜き出して、参照すべき場所を<br />
示したリストだ。　五十音順などに分類している。<br />
日本など東アジアでは書物に索引を付ける習慣がなかったそうで、いかにも学術論文の<br />
項目整理や、整頓の必要に迫られて誕生した、という感じがする。　　百科事典や参考書に<br />
欠かせない索引は、巻末に、小説などの小見出しの目次は、巻頭にあることが多い。<br />
もっとも、量が多くなれば百科事典はそれだけで一冊となる索引や、<br />
国によっては巻末に来る目次など姿は様々。ＷＥＢサイトも見出しや目次は大切で　<br />
何処に何があるやら簡単に探し出せることが　ミソ。<br />
何処だ？と思っただけで、人差指が指示してくれるような設定が出来れば有難いのだが。<br />
<br />
　当初、少しでも簡素な画面を！と要望して出発した【能楽さんぽ】。<br />
削って、削って、　必要最低減に削った。　勿論、所謂　目次もなくした。<br />
　　“何処に何があるのかさっぱりわからん！表題と内容を書き出せ！”<br />
　　“もくじ、目録、索引、インデックス等々なんでもいいから過去の記事を判り易く見せよ！”との<br />
声もあった。　が、簡素が一番と姿勢を守った。　<br />
大した時間がたった訳でもないが、旧態依然としたブログ形式はちょっとした文化遺産に<br />
なりつつある。そう言ってそのままも宜しくはないので、新年を迎える前に　ススハライ。<br />
先ずは、能の曲目について書いたものを拾っての作業開始。　<br />
手前ミソのような、忸怩たるものがありながらも以下に書き出す　厚顔無恥。<br />
</font><br />
<br />
<br />
<br />
<font style="color:#990000; ">２００６年１０月	          <a href="http://http://nogakusanpo.maya-g.com/index.php?y=2006&m=10&datefile=200610" target="_blank">半蔀</a>　　　　　　蔀戸に絡む夕顔は<br />
２００７年０５月	  <a href="http://nogakusanpo.maya-g.com/index.php?y=2007&m=05&datefile=200705" target="_blank"> 頼政</a>　　　　　　　源三位頼政<br />
２００８年０３月	  <a href="http://http://nogakusanpo.maya-g.com/index.php?y=2008&m=03&datefile=200803" target="_blank"> 野守</a>　　　　　　　野守の鏡<br />
２００８年０７月	   <a href="http://http://nogakusanpo.maya-g.com/index.php?y=2008&m=07&datefile=200807" target="_blank">錦木</a>　　　　　　　錦木伝説<br />
２００８年１０月	   <a href="http://http://nogakusanpo.maya-g.com/index.php?y=2008&m=10&datefile=200810" target="_blank">三輪</a>　　　　　　　三輪<br />
２００８年１２月	   <a href="http://http://nogakusanpo.maya-g.com/index.php?y=2008&m=12&datefile=200812" target="_blank">百萬</a>　　　　　　　百萬<br />
２００９年０２月	   <a href="http://http://nogakusanpo.maya-g.com/index.php?y=2009&m=02&datefile=200902" target="_blank">鉢木</a>　　　　　　　トピアリーに続いて鉢木御鑑賞の一席<br />
２００９年１０月	   <a href="http://http://nogakusanpo.maya-g.com/index.php?y=2009&m=10&datefile=200910" target="_blank">隅田川</a>　　　　　	すみだ川<br />
２０１０年０５月	   <a href="http://http://nogakusanpo.maya-g.com/displog/187.html" target="_blank">景清</a>　　　　　　　 藤原景清<br />
２０１０年０６月	  <a href="http://http://nogakusanpo.maya-g.com/displog/191.html" target="_blank"> 遊行柳</a>　　　　　　老木の柳<br />
２０１０年０６月	   <a href="http://http://nogakusanpo.maya-g.com/displog/192.htm" target="_blank">西行桜</a>　　　　　　西行桜<br />
２０１０年０７月	   <a href="http://http://nogakusanpo.maya-g.com/index.php?y=2010&m=07&datefile=201007" target="_blank">芦刈</a>　　　　　　　 葦・蘆・芦<br />
２０１０年０８月	   <a href="http://http://nogakusanpo.maya-g.com/displog/198.html" target="_blank">熊坂</a>　　　　　　　　熊坂長範 <br />
２０１０年０９月	   <a href="http://http://nogakusanpo.maya-g.com/displog/200.html" target="_blank">経正</a>　　　　　　　　琵琶<br />
２０１０年０９月	  <a href="http://http://nogakusanpo.maya-g.com/displog/202.html" target="_blank"> 船弁慶</a> 　　　　  しかるにこうせんなぁ〜<br />
２０１０年１０月	   <a href="http://http://nogakusanpo.maya-g.com/displog/206.html" target="_blank">紅葉狩</a>　　　　　　紅葉狩<br />
２０１０年１１月	  <a href="http://http://nogakusanpo.maya-g.com/displog/210.html" target="_blank"> 巻絹</a>　　　　　　　　巻絹<br />
２０１０年１１月	   <a href="http://http://nogakusanpo.maya-g.com/displog/209.html" target="_blank">山姥</a>　　　　　　　　かくれ里<br />
２０１０年１２月	  <a href="http://http://nogakusanpo.maya-g.com/displog/212.html" target="_blank"> 猩々</a>　　　　　　　　汲めどもつきぬ　酒の壷　　　　　　　　<br />
２０１１年０１月	  <a href="http://http://nogakusanpo.maya-g.com/displog/216.html" target="_blank"> 翁</a>　　　　　　　　　　初会の翁　　　　　　　　　<br />
２０１１年０４月	  <a href="http://http://nogakusanpo.maya-g.com/displog/226.html" target="_blank"> 源氏供養</a>　　　　　源氏供養　　　　<br />
２０１１年０６月	   <a href="http://http://nogakusanpo.maya-g.com/displog/233.html" target="_blank">自然居士</a>　　　　　自然居士<br />
２０１１年０６月	  <a href="http://http://nogakusanpo.maya-g.com/displog/235.html" target="_blank"> 葵上</a>　　　　　　　　葵          <br />
２０１１年１０月	   <a href="http://http://nogakusanpo.maya-g.com/displog/249.html" target="_blank">東北</a>　　　　　　　　東北          <br />
２０１１年１０月	  <a href="http://http://nogakusanpo.maya-g.com/displog/248.html" target="_blank"> 松虫</a>　　　　　　　千草に集く虫の音　(ちぐさにすだくむしのね)          　<br />
２０１１年１１月	   <a href="http://http://nogakusanpo.maya-g.com/index.php?y=2011&m=11&datefile=201111" target="_blank">女郎花</a>　　　　　　　をみなめし<br />
２０１１年１２月	   <a href="http://http://nogakusanpo.maya-g.com/displog/254.html" target="_blank">融、頼政、満仲、頼光、大江山、羅生門</a>　　　　あの時代　みんなが大好きだった物語<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />

]]>
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<title>あの時代　みんなが大好きだった物語</title>
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<modified>2011-11-30T15:05:01Z</modified>
<issued>2011-12-01T00:05:01+09:00</issued>
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<created>2011-11-30T15:05:01Z</created>
<summary type="text/plain">　　歌舞伎十八番の内に　外郎売というのがある。「外郎売　実ハ　曾我五郎」という設定の話で、享保三年、二代目市川団十郎が勤めたのが初めという。　　外郎売の口上で　“　拙者親方と申すは〜　”　と始まり、　　“　〜武具、馬具、武具、馬具、三武具馬具、合せて武</summary>
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<name>nogakusanpo</name>
<email>s-gokita@jcom.home.ne.jp</email> 
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<dc:subject>案内望遠鏡</dc:subject>
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<![CDATA[ 
<font style="color:#990000; font-size:14px;">　　歌舞伎十八番の内に　外郎売というのがある。<br />
「外郎売　実ハ　曾我五郎」という設定の話で、享保三年、二代目市川団十郎が勤めたのが<br />
初めという。　　外郎売の口上で　“　<b><font style="color:#990000; font-size:12px;">拙者親方と申すは〜</font></b>　”　と始まり、<br />
<br />
</font>　　<font style="color:#990000; font-size:12px;"><b>“　〜武具、馬具、武具、馬具、三武具馬具、合せて武具馬具　六武具馬具 〜　<br />
   煮ても焼いても喰われぬものは、五徳、鉄灸、金熊童子に、石熊、石持、虎熊、虎鱚。　<br />
   中にも、東寺の羅生門には茨城童子が腕栗五合掴んでおむしゃる。<br />
   かの頼光の膝元去らず、鮒、金柑、椎茸、後段な、蕎麦切り、素麺、饂飩か愚鈍な 小新発知〜　”</font>　</b>　 <br />
<font style="color:#990000; font-size:14px;"><br />
<br />
と、訳のわかったような、判らんような　調子のいいセリフが続く。早口言葉や滑舌の稽古に<br />
使うことで知られているから、何処かで耳にした記憶があると思う。<br />
<br />
 “かの頼光(らいこう)の膝元去らず”　と、ここに登場の頼光。<br />
平安は中頃の武将。　父は鎮守府将軍の源満仲。　その長子で、清和源氏の3代目というから、<br />
結構な御家柄である。　成人して出仕し、藤原氏の下で官職を得たらしい。<br />
関白兼家の葬儀でのこと。藤原道長の振る舞いに、“うぅ〜む”と　思うところあって、側近として<br />
従うようになったとか。　それまでにしっかり受領として蓄えた財で、道長にしばしば御進物。<br />
　“道長さまぁ〜　ファンなんですぅ〜”と、道長に一所懸命お尽くしして、道長権勢と共にご発展。<br />
しかるに頼光。　武門の名将「朝家の守護」と呼ばれた、と！<br />
この頼光、玄孫、即ちやしゃごに宇治平等院で自刃した<a href="http://nogakusanpo.maya-g.com/displog/48.html" target="_blank">源頼政</a>がいる。<br />
<br />
寛仁元年　(1018年）、大江山夷賊追討の勅命で　頼光は頼光四天王らと共に鬼退治を行った。<br />
京都の成相寺に頼光が自らしたためた追討祈願文書があるという。<br />
　“どうぞ、鬼退治が上手くいきますように”っていうことである。<br />
酒呑童子が、茨木童子をはじめとする多くの鬼を従えて、大江山から、しばしば京都に出没し、<br />
高貴な若い姫をさらったり、生のまま喰ったりの、ぞぉっとする悪行の数々。<br />
帝の勅命で、源頼光と頼光四天王が討伐したという、お話は夢か現か…<br />
酒盛りの最中に、酒を酒呑童子に飲ませて寝首を掻き成敗したが、そこは酒呑童子。<br />
首を切られた後でも頼光の兜に噛み付いていたそうな。<br />
討伐祈願の成相寺には、酒盛りの時の酒徳利と杯が所蔵されているというから、こりゃぁ現かな…。<br />
<br />
この四天王、渡辺綱を筆頭として坂田金時、卜部季武、碓井貞光　のご面々。<br />
渡辺 綱（わたなべのつな）は、大江山の酒呑童子退治は勿論、京都の一条戻り橋の上で鬼の腕を<br />
源氏の名刀「髭切りの太刀」で切り落としたってお話でも有名。<br />
能『羅生門』は舞台を一条戻り橋から羅生門に置き換えたもので、この綱さん、源融（みなもとのとおる）の御子孫で、かの頼光さんの御親戚なんですねぇ。　故に正式な名乗りは源綱（みなもとのつな）。　<br />
源融は陸奥国塩釜の風景を模して六条河原院を造営したとかいう　嵯峨天皇の子。<br />
臣下に下り　源姓を賜って…　光源氏のことだなんて、謂われたり。百人一首の河原左大臣である。<br />
要は綱さんも、頼光さんもなかなかのご出自ということ。<br />
<br />
坂田金時（さかたのきんとき）は、まさかり担いだ金太郎さん。<br />
きんたろさんが「金時豆」の由来なら、息子の坂田金平は「きんぴらゴボウ」の由来とな…。<br />
卜部 季武（うらべのすえたけ）は知る人ぞ知る、知らない人はてんで存じ寄らない<br />
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　酒呑童子退治の人！<br />
碓井貞光（うすいさだみつ）は、童話の『金太郎さん』では、樵に身をやつして、旅をする最中の足柄山で金太郎を見つけて、源頼光のもとへ連れて行くということになっている、碓氷峠のおっさん。<br />
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ここまでに出てきた『融、頼政、満仲、頼光、大江山、羅生門』。<br />
それぞれ流儀によって多少の違いはあれど皆、能の曲になっている。<br />
所縁の曲には渡辺綱をはじめ酒呑童子等々が、ご登場。当時としては誰でも知っていたお話。<br />
外郎売りが実は…と、歌舞伎でいう曽我兄弟のお話も　能には『小袖曽我』をはじめとする<br />
曽我物ってものがある。これらが作られた室町期の　あの時代　みんなが大好きだった物語。<br />
能の中で今に伝えられているってことで、当時の趣味なんぞを垣間見て<br />
　　　　　　　　　　　　　　　　　　へぇーとか、ほぉーとか　突っ込みながらのご鑑賞もこれまた　一興。<br />
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三余堂12月<a href="http://www.kanze.com/index.html" target="_blank">観世九皐会</a>で能　『頼政』　の地頭を 勤める。</font><br />
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